天才・羽生結弦を育てた「羽生家の家訓」 決して表に出ない両親、祖母、叔母、個人トレーナーが明かした新事実 

2015年01月30日(金) 週刊現代

週刊現代賢者の知恵

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—ご両親の、しっかりした教育あっての羽生選手だと思います。

それはウチの娘ではなく、教員をされているお父さんが立派だったんだと思います。私たちは普通の人間ですから。

「嫌なら辞めればいい」

小さいころの羽生は、野球をやっていた父の影響から、ボール遊びが大好きな少年だった。

端麗な容姿から女の子に間違えられることもあったが、周囲からは明るくわんぱくに見えていた羽生少年。だが実は、他の子供に比べて、生まれつき大きなハンデを背負っていた。

「喘息」である。

喘息持ちだった羽生は、少し走ると急に咳き込んだり、夜も眠れないほど咳が続く日もあったという。

羽生がスケートと出会ったのは4歳の頃。スケート教室に通っていた姉の練習についていったのがきっかけだったが、目的は喘息を克服することにあった。

「お母さんは結弦の喘息を心配し、なんとか治してやりたいと考えていた。ホコリを吸い込む可能性の少ない屋内でのスケートは、結弦にピッタリのスポーツでした」(前出の友人)

幼少期から羽生を指導し、現在は神奈川スケートリンクの専属インストラクターを務める都築章一郎氏は、その頃のことを次のように語る。

「元々は喘息を治すことが目的だったようですが、結弦は体幹がしっかりした子で、『才能の片鱗』が見えました。何度転んでも起き上がってきて、当時から芯の強さや、負けず嫌いなところはありましたね。『お姉ちゃんができるなら僕にだってできる』と言って、果敢にジャンプやスピンに挑戦していました。その頃からうまくいけば世界に通用する選手になると思っていました」

スケート靴を初めてはいた瞬間から、光っていた才能。だが、ここから順風満帆なスケート人生が始まったのかと言えば、そうではない。そのエピソードを明かすのは、羽生の父親の妹で、現在は保育士を務める叔母である。

「兄はずっと野球が好きで、野球部の顧問も務めていました。だから、本当はゆづに野球をやらせたかったんです。小学校3~4年生の頃、スケートの練習が少し嫌になっていたゆづに、兄はこう言ったそうです。『野球のほうがおカネもかからないし、スケートが嫌なら辞めてもいいんだぞ』と」

喘息の症状が改善に向かっていたこともあったのだろう、父の提案は羽生を悩ませた。そして、悩んだ末に羽生が自分の意志で出した答えが「スケートを続ける」だった。

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