読書人の雑誌『本』
パノラマから見える世界---柴崎友香・著『パノララ』

4年前に10年ぶりの海外旅行に行く際買い換えたコンパクトデジタルカメラにパノラマ機能がついていて、その風景にすっかり魅了された。

パノラマ、と言うと20年以上前に流行ったレンズ付きフィルムで撮影できたものを思い浮かべる人も多いが、あれはフィルムの上下を切った単なる横長の写真で、近年デジタルカメラで撮れる画角の広いパノラマとは全然違う。

カメラを動かしながら撮影し、細切れの画像を合成してできあがる。機種によって違うが、わたしの使っているものだとだいたい180度から270度くらいの範囲を平面に収めることができるので、魚眼レンズほどではないが空間が歪む。写真の端と端では時差があるし、画像の間にずれができて頭が消えたり腕が三本になったりする。写し始めるところは決められるが、どこまでが写真に収められるかはカメラ次第。カメラを動かしている間に人や車が横切ったりもするので、どんな写真になるか、撮影者が完全にはコントロールできない、その偶然性がおもしろい。

できあがったパノラマを、モニター画面で見る。現実を確かに写し取ったはずなのに、現実には存在しなかった光景が一枚の画像に表される。それを眺めていて、人間の記憶や認識は、この歪んだ風景をつなぎ合わせた世界のほうが近いのではないか、と思った。

同じ場所で同じものを見ていたはずなのに、わたしと目の前の誰かでは記憶が食い違う。想い出を語っても、相手は覚えていなかったりする。同じできごとでも受け取り方は違うし、一人の人間についても別の面を見ていることがある。

さらには、あとから聞いた話によって印象や解釈が変わってしまうこともあるから、人間の記憶や認識のほうが、歪んだパノラマ画像よりももっと曖昧でとらえがたく、奇妙なものかもしれない。

誰しもそんなことはわかっているかもしれないが、それでもつい、自分と相手が同じものを見ているはずだと思って話を続けてしまう。一つの言葉からイメージするものが同じだという前提でいるから、話がかみ合わないまま、こじれていく。

文化も言葉も違う相手なら最初から伝えようと努力するが、かえって距離が近い、同じ環境にいる人だったり家族だったりのほうが、同じ考えでいるはずだ、もしくは同じであることが相手にとっても正しいはずだと思い込んでしまうことがある。ときには、そこに圧力や、一方的な期待や絶望が発生する。

街角でパノラマ写真を撮りながら、撮影した画像をパソコンの画面で繰り返し眺めながら、そんなふうに、自分以外の人が見ているものを見ることは可能なんだろうかと考えているうちに、この『パノララ』という小説が始まった。しかし、とにかく、年齢や属性の違う人物が複数いて、なにかしらの対立や驚きがあって、関係がどんどん動いていくような話を書きたいと思った。

書いている自分自身が、このあとはどうなるのか、というか、どうするんだろうと困惑しつつ、おもしろがりつつ、一回一回を書いていきたいと思って、一年半連載を続けた。

この小説は、語り手である28歳の女性が住んでいた部屋の更新料の工面に困り、知り合いの実家である増築を繰り返した奇妙な家で暮らし始めるところから始まる。どんな家にしようかと、外観や間取り図を何度も描くのは楽しかった。連載を始めて半年ほど経ったある日、普段より遠くまで散歩していて、まさにそんな家を発見した。『パノララ』の木村家は配管や鉄の梯子だらけのインダストリアル系の外観だが、その家は、全体には和風の民芸調でそこに植木が絡まり合っていた。

その家の一部がちょうど賃貸に出ていて、部屋の内部は画像で見る限り普通のアパートだった。ここに住んでみたら自分が書いている小説と同時進行でなにかが起こるかもしれない、と思う間にすぐに部屋は埋まってしまった。あの部屋を借りた人も、今頃大変な目に遭っているかもしれないし、何事もなく暮らしているかもしれないが、『パノララ』を読んだらどんな感想を持ってくれるだろうか。

(しばさき・ともか 作家)
読書人の雑誌「本」2015年2月号より

柴崎友香(しばさき・ともか)
1973年、大阪府生まれ。大阪府立大学卒業。99年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」(文藝別冊8月号)でデビュー。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞・織田作之助賞大賞、10年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、14年『春の庭』で芥川龍之介賞を受賞。著書に『きょうのできごと』(行定勲監督により映画化)、『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』、『主題歌』、『星のしるし』、『週末カミング』、『ビリジアン』、『わたしがいなかった街で』、『星よりひそかに』など。

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柴崎友香・著
『パノララ』
税抜価格:1,800円

28歳の「わたし」(田中真紀子)は、友人のイチローから誘われ、彼の家に間借りすることにした。その家は変な家で、コンクリート三階建て(本館)、黄色い木造二階建て、鉄骨ガレージの三棟が無理やり接合され、私の部屋はガレージのうえにある赤い小屋。イチロー父の将春は全裸で現れるし、母で女優のみすず、姉の文、妹の絵波と、家族も一癖ある人ばかり。そんなある日、イチローは、自分はおなじ一日が2回繰り返されることがたまにある、と私に打ち明けるのであった。

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