日本語のわすれもの---石川九楊・著『日本語とはどういう言語か』

独学、独創の哲学者・三浦つとむに『日本語はどういう言語か』という名著がある。それを知っていながら、私は『日本語とはどういう言語か』というまぎらわしい表題の本を書いた。その本が、今回、同じ講談社学術文庫の一冊として出版された。

三浦が「日本語は」と自明のものとしたものを、私は「日本語とは」、つまり「日本語」と言いきれるものは存在するのかと、疑問符を付した。そこに、この本を著した意味がある。本当に「日本語」という単一の言語は存在するのだろうか。

小中高等学校に「日本語」という教科はないが、「国語」という教科がある。我々はこの「国語」を日本語の別名ととらえ、「国語」の文法といえば、日本語の文法のように考えている。

しかし、はたしてそうだろうか。

たとえば品詞。なるほど「歌」は名詞でいい。これに一字加えた「楚歌」も楚国の歌だから、これも名詞でいい。それでは「四面楚歌」は。万事休すという意味で、「俺はもう四面楚歌」と歎いたときのそれは名詞のような顔を見せていても、中国の故事をふまえた「四面は楚歌なり」という文であって、品詞になじまないのではないだろうか。

たしかに、「富士山山」という表現はおかしい。「馬から落馬した」も「陥穽に陥ちた」も。だが「富士山やま」「うまから落馬した」「陥穽におちた」ではどうだろうか。

関西では、「富士山に登る」というよりも、助詞を省略して「富士山、登る」と言うことが多い。また近年のアナウンサーやテレビタレントは、しばしば助詞の使い方を間違える。

これらの例は、漢字、漢語、漢文の書法や文法が、日本語の中に深く入りこんでいるため、「国文法」は十全な日本語文法としては機能せず、不定不調に陥っていることを意味しているのではないだろうか。

観点を少し変えてみよう。

大学受験生が「国語」科で学ぶのは、「漢文」と「古文」と「現代文」の三つ。この事実が、「日本語とは」といったん「日本語」を括弧に入れる思考が欠かせないことを雄弁に物語っている。

一は日本語に大きな影響を与えた、論語や唐詩などの漢詩、漢文。二の「古文」は、古今和歌集や源氏物語などの和歌、和文。そして三は、明治以降、近代西欧語の影響を受けて生れた近代詩や近代、現代文。この三者から日本語が成立していることを大学受験科目は証すのだ。

一見したところ、これは日本語を歴史的に並べたもののように見える。だが、少し考えていくと、そこに違った解が見えてくる。それは、文字とともにあり、文字と切り離すことのできない関係で存在している日本語の姿である。

第一の「漢文」は、文字通り漢字語。これは、儒教、道教、仏教に関連する語彙と文体で、政治、宗教、思想、哲学的表現を得意とする。

第二の「古文」は、ひらがなをもつことで表現が可能になった和歌、和文。これは春夏秋冬、雪月花│四季と性愛の表現を得手とする。実のところは、このひらがな語の別名が、漢語に対する「国語」である。ひらがな文の法である「国文法」が日本語文法とはなりえず、また「国文学」が平安文学に終始するのは、しごく当然のことである。

そして、第三の「現代文」は、漢字語、ひらがな語に加えて、西欧のカタカナ語とその文体を交えて成立する、漢字仮名交りの近代、現代の詩と文である。

受験教科、なめるなかれ。「国語」の受験科目は、日本語が、漢字語とひらがな語とカタカナ語の語彙と文体の入り交った言語であることを告げつづけていたのだ。

現在、筆者は、「日本語なんてない。日本語とよんでいるのは、漢字語とひらがな語とカタカナ語の集合体だ」と言いきれる地点にまでやってきた。その輪郭を明らかにしたのが、この『日本語とはどういう言語か』である。是非一度手にとって、言わんとするところを読みとっていただければありがたい。日本語や日本文化がこれまでとは少し違って見えてくることを期待して。

いま一部の日本人は、幼態成熟文化と花鳥風月の月次文化を「クールジャパン」と呼んで、いささか自己愛的陶酔に浸っている。だが、これは日本語のいたずら。漢字語の制御を失って遠心した、カタカナ語とひらがな語の撩乱現象である。今の日本に何が欠け、どう再建すればよいかの方向も日本語の問題から考察できると思うのだが。

その意味で、「日本語とは」―と問うたのである。

(いしかわ・きゅうよう 書家・批評家)
読書人の雑誌「本」2015年2月号より

石川九楊(いしかわ・きゅうよう)
1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。書家・批評家。京都精華大学教授。著書に『書の終焉』(同朋社出版、サントリー学芸賞)、『日本書史』(名古屋大学出版会、毎日出版文化賞)、『近代書史』(名古屋大学出版会、大佛次郎賞)など

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石川九楊・著
『日本語とはどういう言語か』
税抜価格:1,080円

日本語は漢字とひらがなとカタカナの三つの文字からなり、平安中期以降は漢語と和語の二重複線の歴史を辿った。アルファベット文明圏の言語学では捨象されざるをえなかった、東アジア漢字文明圏の書字言語の諸現象。中でも構造的に最も文字依存度が高い日本語の特質を、言(はなしことば)と文(かきことば)の総合としてダイナミックに把えた。石川日本語論、決定版。

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