第108回 大塚明彦(その二)レトルトカレーを世界で初めて発売。目新しい調理過程も魅力的だった―

大塚明彦は昭和12年、徳島県鳴門市に生まれた。

父の正士はまだ大塚製薬の社長に就任していなかったが、自伝『わが実証人生』のなかで、「長男明彦誕生により、人生における自己責任を痛感して、仕事に対する真剣さが出てきた」と述べている。
戦後、社長となった正士が、新商品の開発によって会社を大きく発展させていく様子を、明彦は間近に見て育った。
昭和35年、明彦は中央大学工学部を卒業し、大塚製薬に入社した。

明彦による最初のヒット商品はボンカレーである。

昭和39年、関西でカレー粉や即席の固形カレーを製造販売していた会社を、大塚グループが引き継ぎ、大塚食品が誕生した。
当時、洋食の代表といえば、カレーであり、メーカー間の競争が激しかった。

「何か新しいカレー商品を開発したい」と考えていた明彦の目に止まったのが、アメリカのパッケージ専門誌『モダン・パッケージ』に掲載された「US Army Natick Lab」の記事だった。
缶詰に代わる軍用の携帯食として、ソーセージを真空パックにしたものが紹介されていたのである。

「この技術を応用して、お湯で温めるだけで食べられるカレーができないだろうか」

当時、大塚製薬徳島工場の建設責任者であった明彦は、この案を社長である正士に持ち込んだ。

「面白い」と、すぐに開発が始まった。

しかし、大塚食品はまだ発足したばかりでよちよち歩きの会社といってよく、大塚化学が事業化していくことになった。

まずは、味を決めなければならない。
正士の弟、公が中心になって、京阪神のカレー店を食べ歩いた。
京都の老舗カレー店『ジャワレストラン』のコック長、清住幸央の指導を受けて、納得のいくビーフカレーをつくりあげた。
清住の「指導」がどの程度の物だったかは、確認できないが、大塚食品としては、満足のいく取引だったに違いない。

さらに、プラスチックの袋に入れて常置し、食する時には、沸騰したお湯に袋のままつけて、三分間で出来上がるというレトルト商品を試行錯誤のうえ、完成させたのである。