第107回 大塚明彦(その一)オロナミンC、ボンカレー・・・・・・大ヒット商品を生む大塚製薬の黎明期

平成26年11月、高倉健、菅原文太という名優が相次いで亡くなり、世間を騒がせた。その最中の11月28日、ある人物が亡くなり、訃報が伝えられた。

大塚明彦。

大塚ホールディングスの代表取締役会長である。
はて、どんな人だろう? と思われる方も多いだろうが、ボンカレー、ポカリスエット、カロリーメイトの開発者といえば、おおよその見当がつくのではないか。

大塚ホールディングスは、大塚製薬、大塚食品、大塚化学、アース製薬などにより、医薬品からヘルスケア、食品までを幅広く展開。『知られざる一兆円企業』と、巷間呼ばれている。

この源流である大塚製薬工場は、大正10(1921)年に徳島県鳴門市で産声を上げた。
創業者は明彦の祖父、大塚武三郎である。
終戦直後、従業員わずか十七人の小さな会社を大企業へと発展させたのが、昭和22年に会社を継承した、武三郎の息子、正士だった。
その第一歩は、点滴注射だった。大手薬品企業が戦後復興で手が回らないこの分野に参入し、急発展を遂げたのだ。

さらに父親の反対を押し切って、東京進出を決める。
そのときの決意を、「雪だるまを作るには、雪深い北海道に行くしかない。オレはカネだるまを作るのだから、東京に出て行く」と、自伝『わが実証人生 三五〇年を生きた一人の男 その酒と女と経営人生』で書いている。この本、上下巻で10万円。古本市場でも見つからず、国会図書館で閲覧するしかなかった。

クロス装の赤い大きな箱におさめられていて、一巻1030ページあまりの大部の書。表紙にはタイトルが金で箔押しされている。
しかし、二代目社長の正士とて、順風満帆であったわけではない。

点滴注射は大手の生産ラインが整ってくると、注文が半減した。
販路拡大によるコスト増により経営難に陥り、このままでは倒産かと思われたとき、朝鮮戦争の特需に救われたのである。

苦境を乗り切った正士は昭和28年、アメリカのオロナイトケミカル社の新殺菌剤を軟膏にした「オロナイン軟膏」を薬局の店頭で大衆薬として販売し、大ヒットとなった。

宣伝方法も新しいものだった。

「ミス看護婦」を募集し、選考で選ばれた、筒井喜久子を使った新聞宣伝を展開したのである。

この大ヒットが大塚製薬発足のきっかけとなり、昭和三十九年、大塚製薬工場から四国以外の販売部門が分社化され、大塚製薬株式会社が設立された。

わが製品がより多くの人々により多くの幸せを与える

そして、その翌年には新たなヒット商品が生まれた。
オロナミンCドリンクである。

商品名は、「オロナイン軟膏」と「ビタミンC」を合成している。
「子供から大人まで、男女問わずいつでもどこでも美味しく飲める」をコンセプトに開発されたこの飲料は、炭酸が入っていることから、医薬品として認められなかった。
つまり、宣伝に健康増進の効果をうたうことができなかったのである。

正士はこれを逆手にとった。

「医薬品では薬局でしか売れない。薬局は全国に約四万軒しかない。ところがオロナミンCは炭酸飲料だからどこでも売れる。小売店はざっと一六〇万軒である。『四万軒』と『一六〇万軒』、この差はとてつもなく大きい」(『わが実証人生』)