現代新書
特別寄稿 『福島第一原発事故 7つの謎』 事故から3年経ってなお次々に浮かび上がる謎 「1号機の冷却機能喪失は、なぜ見過ごされたのか?」 【前編】
吉田所長が生前に遺したとされる「謎の言葉」をめぐるミステリー(第3章)、知られざる放射能大量放出の謎(第4章)など、本書でしか読めないスクープ情報が満載されている。

福島第一原発事故から4年が経とうとしているが、事故原因の究明は遅々として進まず、いまだに多くの謎に包まれている。原子力発電所という巨大プラントの同時多発事故はきわめて専門性が高く、多くのメディアが事故の検証報道に及び腰だ。その中で、唯一、科学技術的な側面から事故を粘り強く検証してきたのが、NHKスペシャル『メルトダウン』取材班である。『メルトダウン』シリーズでは、これまで5本の番組が放映され、文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞を受賞するなど、内外で高く評価されてきた。2015116日、約3年半にわたる同取材班の調査報道をまとめた『福島第一原発事故 7つの謎』が講談社現代新書より刊行される。事故対応にあたった東電社員や原子力工学の研究者などのべ500人を取材し、極秘扱いの東電内部資料を駆使した独自取材はまさに圧巻だ。同書の刊行を記念して、「第1章 1号機の冷却機能喪失は、なぜ見逃されたのか?」を2回にわたって掲載する 

吉田調書の波紋

東京電力・福島第一原発の事故から3年半が経った2014年9月11日。事故対応の指揮をとった吉田昌郎元所長が政府の事故調査・検証委員会の聴き取りに答えた記録、いわゆる吉田調書が公開された。吉田調書を巡っては、この4ヵ月前の5月、朝日新聞が、全文を入手したと報じ、大きな話題を集めていた。1面トップで、2号機が危機に陥った時に9割の所員が吉田所長の命令に違反して福島第二原発に撤退していたと伝えたのだ。調書の中で、吉田所長が「本当は私、2F(福島第二原発)に行けと言っていないんですよ」と証言していたのがその根拠だった。ところが、その後、新聞、通信各社も吉田調書を入手。朝日新聞が引用した証言の直後に吉田所長が「よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と語っていることを明らかにし、記事は誤りだと指摘。議論を呼んでいた。

吉田調書が公開された日の夜、朝日新聞は木村伊量社長らが緊急会見し、命令違反で撤退したとする記事を取り消すと発表。世紀のスクープとして放った特ダネは、4ヵ月後、一転して痛恨の誤報となってしまったのだ。

吉田調書公開の1ヵ月近く前、私たちNHK取材班も独自のルートで、その全文を入手していた。

『福島第一原発事故 7つの謎』は、ほぼ時系列に沿って、章立てしている。1章から読んで頂ければ、事故の進展に従ってその全体像が理解できるように構成している。それぞれの章は一つのテーマを巡って一話完結といったおもむきになっている。

「人間は核を制御できるのか」、その根源的な問いに迫るため、取材班は3年以上にわたって、事故対応にあたった運転員や幹部など500人以上にのぼる関係者から直接話を聞き、事故の検証取材にあたってきた。

「事故はなぜ拡大したのか」「本当に防ぐことはできなかったのか」。吉田調書は、その謎を解くための新たな重要資料だった。調書はおよそ400枚。28時間におよぶ聴取に対して、吉田は、事故に関わった政治家や専門家を、時に「あのおっさん」と呼び、開けっぴろげで歯に衣を着せない口調で、事故にどう対応し、何を考えていたのかを語っていた

取材班は朝日新聞の報道で議論になっていた撤退問題の真相を解明するとともに、事故の初動、特に最初にメルトダウンした1号機に吉田がどう対応し、何を考えていたのかを読み解く作業にとりかかった。

福島第一原発の事故は、メルトダウンした1号機が水素爆発を起こすことで、収束作業が後退し、その後3号機の水素爆発、2号機の放射性物質の大量放出へと連鎖的に悪化していく。逆に言えば、1号機のメルトダウンをなんとか防げば、その後の展開は大きく変わったと言える。1号機の対応こそ事故の進展を決める重要なポイントだった。

原子炉を冷却するIC(非常用復水器、運転員は「イソコン」と呼ぶ)の構造。MOは電動弁を表す(東京電力報告書より)

その鍵を握っていたのが1号機の非常用の冷却装置、IC(非常用復水器)への対応だった。ICは、電源が無くても蒸気で動いて原子炉を冷やす非常用の装置である。吉田以下免震棟の幹部は、津波で電源が失われた1号機は冷却装置が動かなくなったが、ICだけは、機能が維持されていると考えて、事故対応にあたっていた。ところが、後の政府事故調や東京電力の調査で、1号機のICは、津波の直後から動いていなかったことが判明する。実は、ICの弁は、電源が失われると自動的に閉じる構造になっていたのだ。これは、電源が失われるなど何らかの異常があった時、原発内部から放射性物質が外部に漏れ出ないよう配管の弁を自動的に閉じるフェールクローズと呼ばれる安全設計に基づくものだった。安全設計による停止なら、なぜ、当初からICは止まっている可能性があると、吉田をはじめとする原発のプロ集団が思い至らなかったのだろうか。そもそもこの安全設計の仕組みは、どれほど知られていたのか。取材班にとっては、長い間謎の一つだった。

入手した吉田調書には、取材班と全く同じ問題意識で、吉田に対して「東電の原子力に携わる人は、この安全設計の仕組みをどのくらい知っていたのか」と問う場面が記されていた。

これに対して、吉田はこう答えている。

福島第一原発1号機の中央制御室。事故当時は照明や操作盤の電光表示も全て消えた状態だった 写真:東京電力

「基本的に、ICに関して言うと、1、2号の当直員(運転員)以外はほとんどわからないと思います。(中略)ICというのはものすごく特殊なシステムで、はっきり言って、私もよくわかりません」。そして本店からも全くアドバイスはなかったと明言している。ICについて、吉田をはじめとする免震棟や本店の幹部たちは、決して十分な知識を持っていたとは言い難い状態だったのである。

吉田が、ICの機能停止に気がつくのは、1号機の格納容器圧力の異常上昇が判明する11日午後1150分のことだった。津波による電源喪失から8時間あまり、吉田たちは、ICは動いていると思い込み、対応を続けていく。このことが、その後の事故対応を困難にさせていったことは否めない。

ICが動いていないことに早期に気がつくことはできなかったのか。実は、取材班の3年間にわたる検証取材と吉田調書の読み解きから、この8時間に、ICが動いていないことに気がつくチャンスが、少なくとも4回あったことが浮かび上がってきた。なぜ、チャンスは見過ごされたのか。1章では、この謎を解き明かし、その深層に何があるのかを探っていく。 

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