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[サッカー]
大野俊三「Jリーグにも“巨人-阪神戦”を」

2014年12月30日(火) スポーツコミュニケーションズ

 一級品だったヤナギの動き出し

 14年は宇佐美貴史(G大阪)や柴崎など、若い人材が大きく台頭したシーズンでした。一方で、現役としての役目を終え、ユニフォームを脱いだ選手もいます。中田浩二(鹿島)、柳沢敦(仙台)は、鹿島の黄金時代を築き、代表でも重要な戦力として貢献してきました。中田は17年間、ヤナギ(柳沢)は19年間の現役生活を終えました。今はお疲れ様でしたと言いたいですね。

 中田はボランチ、センターバック、サイドバックでプレーし、ユーティリティー性が高く、攻守にわたってチームに貢献できる存在でした。中田はW杯に2度(02年、06年)出場し、海外リーグでのプレーも経験しています。その中で彼自身が感じたものを、後進を育てる上で日本サッカーにフィードバックしてほしい。素晴らしい後継者を育てられるように努力してもらいたいですね。

 ヤナギは動き出しの質が素晴らしかったですね。私は彼がまだ高校生で鹿島へ練習参加した時、一緒にプレーしたことがあります。当時から動き出しは一級品でした。ヤナギは点ではなく、線でパスを受けます。具体的にはパスをもらうために、横に膨らみながらゴール方向へ向かって走るんです。そうしてスペースをうまく利用するので、ヤナギはどこでボールに触るのかが相手DFにはわかりにくく、奪いどころを絞らせません。彼の動きだしを子供たちに教え、実践できる選手が出てくれば、日本サッカーの未来は明るくなるでしょう。

 ジーコが構築した鹿島の土台を引き継いだのがヤナギや中田らの世代です。前時代の体制から移行する中で、沈んでしまうクラブもあります。しかし、彼らはしっかりとチームを飛躍させ、華々しい結果をもたらしてくれました。これが今の鹿島の基になっています。

 今度は柴崎や昌子源などの若手が、ヤナギや中田らが築いたモノをどう引き継いでいくかが重要です。どのような構想で新しいチームづくりがされるのか。鹿島の来季を楽しみに新年を迎えたいと思っています。

<大野俊三(おおの しゅんぞう)プロフィール>
元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アント ラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引 退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://kashima- hsp.com/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年J リーグベストイレブン、元日本代表。
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