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本荘: このお三方がやっていることは、やっている仕事の仕方やアウトプットを見ても特徴的なのが圧倒的な品質です。マリさんの場合はそれがインターネットなのでスピードと品質という形になっていると思います。
矢島さんはたとえば普通に器を売ろうと思ったら、算盤を弾いて「この辺が売れ筋ゾーンで」とか「コストがどうの」とかあるわけですが、そういうこと気にせずに最高のものを作ったって感じじゃないですか?
矢島: 算盤を弾くことも大事なんですけど、それは最後なんですよね。私自身大学4年生のときに起業しているので、社会人経験もないですし、ましてや物を売ったこともないし、商品開発をしたこともないし、お金もないし、何にもないというところから、とにかく私が出会った魅力的な職人さんの技術を次の世代の子どもたちにつなげたいし、もっと言うと自分自身の生活に採り入れたいなというところから始まっているのです。
「ジャーナリストである」というのが和えるの軸としてあって、そして教育的な要素があるというのが重要で。長い間、モノづくりの世界は、物を作れる技術を持っている方々が最も低い賃金で働き続けてきたんですね。職人さんから、「お客さまは神さまです」という時代があったんだと歴史を教えていただいて、私はそれがすごく不思議だったんですよ。
お客さんは物を作れないからそれを買いにくるわけですよね。経済は元々は物々交換から始まって、野菜と魚を交換して、野菜が採れなかったときに、石と魚を交換してもらって、その石が銀になって金になって、そして今、貨幣経済があるという中で、本来は価値のある物同士がすごくわかりやすく交換されていたのだと思います。それが、いつの頃からか忘れられ、最初から貨幣経済の時代に生まれた私たちは、なぜかお金を持っている人が偉いという、不思議なヒエラルキーの下に生きてきたのではないかかと感じたのです。
だから、「お客さんががこの価格で欲しいと言っているから、この価格がいいからこの価格で作ってください、そのためにはあなたもっと安くして安く作る努力をしてください」ということで、市場価格というものが決められていた時代もあるそうです。和えるはそれとは真逆で、職人さんに「いくらだったらこれを作り続けられますか」、「いくらだったら後継者を育てられますか」と聞いて、一緒に考えるところから考えるところから始まるんですよ。それで、そこに関わるデザイナーさん、印刷会社さん、箱屋さん、それから私たち、みんなが継続することができ、生きていくのに必要な分を考えて、その結果として価格が決まるんですね。
でも、決して法外な価格を上乗せしているわけではなくて、けっこう正直ベースで作っています。私たちは、作る人もそれを買う人も、フラットな関係であるべきだと考えています。自分では作れないから職人さんが作ったものを買わせてもらうし、職人さんのほうでも、作ったものを買ってもらわないと自分が他に必要なものが買えない。
そういう考え方を、私たち和えるは先人の知恵から学び、日々取り入れています。お手入れをすれば永く使える。使えば使うほど、なじんできて良くなる。着物が着られなくなったら、仕立直して子どもの着物にして、それから布おむつにして、雑巾にして、朽ち果てるまで使うわけです。私たちの先人は、そういうことを当たり前にやっていたわけで、それをもう一回やってみようかなと思ったので、ある意味ではこの価格は安いんだと私たちは考えているんです。
そういうことを、私たちは先人から学んだんです。着物が着られなくなったらそれを子供の着物にして、それから布おむつにして、雑巾にして、朽ち果てるまで使うわけです。私たちの先人はそういうことを当たり前にやっていたわけで、それをもう一回やってみようかな、と思ったので、ある意味ではこの価格は安いんだと私たちは考えているんです。