大老殺人事件――儒学をめぐるサスペンス
サントリー学芸賞受賞!小川和也・著『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』

いったい、なぜ、大老は暗殺されねばならなかったのか・・・・・・。

貞享元年(1684)8月28日、国家権力の象徴たる江戸城の御用部屋付近において、徳川幕府の大老・堀田正俊が暗殺された。犯人は若年寄の稲葉正休であった。

事件直後、犯人の正休はその場で成敗され、また、被害者の正俊も間もなく死去したため、事件は深い闇に包まれた。闇の奥には、徳川五代将軍・綱吉の気配が感じられる。大老と将軍。幕府の頂点部分にいる二人の間に、何があったのだろうか。

2012年5月、ゴールデンウィークのさなかに、私は千葉県のJR佐倉駅のホームに降り立った。正俊のご子孫の堀田家を訪問するためである。事件の謎を解き明かす手がかりとして、私が目をつけたのが、正俊の著作、『颺言録』という本であった。訪問の目的は、堀田家にあるその原本を拝見させていただくことにあった。

正俊が仕えた将軍・綱吉は、悪名高い「生類憐れみの令」をだし、犬を溺愛して民を苦しめたことで、「犬公方」という異名をもつ暗君として知られる。ところが、『颺言録』は、儒学理念にもとづき、綱吉を「仁政」を行った明君として賞賛した、綱吉言行録なのである。「仁政」とは、子に接する父母のごとく、慈愛に満ちた精神で民に接することである。

堀田家伝来の原本は、正俊の死後、「扇の小箱」と呼ばれる箱に蔵され、270年余り秘された。陽の目をみるのは、第二次大戦後のことであった。なぜ、それほどの長きにわたって秘蔵されなければならなかったのか・・・・・・。ここにも深い闇がある。私には、この闇と事件の闇が、どこかでつながっているように思われた。

『颺言録』の原本をみて驚いた。それは、光輝いていたからである。表紙には、金糸がふんだんにつかわれていた。さらに、表紙をめくってみると、そこには、なんと、徳川家の家紋である葵の紋があしらわれているではないか。

綱吉は異常なまでに奢侈を嫌った。それを察した大奥のお伝の方が、自分の衣服の金糸をほどいて捨ててしまったほどである。なぜ、この『颺言録』は、綱吉の意思に反して、豪華な表紙にしたてられているのか。そしてまた、表紙の見返しに徳川家の家紋がつかわれているのはなぜか・・・・・・。謎が謎を呼び、私の頭は混乱した。

当時、私は札幌郊外の大学に勤務していた。札幌市とはいえ、石狩川まですぐのところで、夏は過ごしやすいが、冬の寒さは厳しく、積雪は一メートルを超え、吹雪くと視界がゼロに近くなる。原稿を書き始めたものの、事件の闇は予想以上に深く、事件の真相を解き明かすどころか、逆に闇のなかにひきずりこまれていった。

あえぎながら、とりあえず書き上げたものを、出版社に送った。気分は晴れず、もうそこまで冬が迫り鬱々としているなか、原稿を読んでくれた編集者が、札幌にやって来た。そして、

「お預かりした原稿。これはですね〝儒学殺人事件〟というべき内容を持っています」

といった。この言葉を聞いた瞬間、闇のなかに、かすかに火花が散るのが見えたような気がした。私は、にわかに興奮していた。

「民は国之本」。綱吉政権は、この儒学理念を掲げ、天下国家を統治することを宣言し、また、儒学の祖・孔子を祀る湯島聖堂を建立した。これすなわち、綱吉政権が日本における儒学浸透・普及の画期といわれてきたゆえんである。しかし、実際には、生類憐れみの令が、民を苦しめた。

綱吉賛美で塗り固められたような『颺言録』。だが、もしそこに、〝あるべき〟将軍像を描くことで、現実の、実在の将軍を批判する鋭い爪が埋め込まれていたとしたら、どうだろうか・・・・・・。闇のなかに、かすかにみえた火花の正体を見定める作業、それは『颺言録』の行間に込められたものを読み取る作業に他ならなかった。そして、次第に、はっきりとみえてきたものは、大老と将軍の間に、国家統治を巡る対立があり、それは、儒学観の違いから生みだされている、ということであった。

本書『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』(2014年4月刊)は、長らく歴史の闇に埋もれてきた大老暗殺事件の真相を、儒学を鍵言葉として解き明かそうとする試みである。

(おがわ・かずなり 中京大学文学部教授、日本思想史・日本近世史)
読書人の雑誌「本」2015年1月号より

小川 和也(おがわ・かずなり)
1964年生まれ。成蹊大学文学部卒、一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士(思想史)。著書に『牧民の思想―江戸の治者意識』(平凡社選書)、『大佛次郎の「大東亜戦争」』(講談社現代新書)、『鞍馬天狗とは何者か―大佛次郎の戦中と戦後』(藤原書店)など。

小川和也・著
『儒学殺人事件 堀田正俊と徳川綱吉』
講談社/税抜価格:2,800円

第36回サントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞!

貞享元年(1684)8月28日。江戸城御用部屋近くで大老堀田正俊が刺殺された。下手人は若年寄の稲葉正休。しかし、その背後には時の将軍綱吉がいた…!?いったいなぜ正俊は殺されねばならなかったのか。事件を解くカギは「儒学」にあった。

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