読書人の雑誌『本』より
2014年12月30日(火) 互盛央

サントリー学芸賞受賞!互盛央・著『言語起源論の系譜』
火星の言葉とカエルの言葉

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言語起源論の系譜』(2014年5月刊)がサントリー学芸賞を賜れることになり、格別の思いを抱いている。数多の名著と同じ栄誉に与る喜びはもちろんだが、本書の執筆はまさに苦闘の連続だったからでもある。

「言語起源論」と言えば、ルソーやヘルダーの名前を思い浮かべるかたも多いかもしれない。かく言う私自身、18世紀後半に書かれたこの二人の著作を中心に据え、周辺を詳しく調査すれば、続く19世紀に「言語の起源」を表題に冠した著作が激減しただけでなく、この主題が学問の世界で否定されたのはなぜなのかも判明するだろう、という程度の認識をもって準備を始めたのだった。

しかし、この目論見は、あっけなく打ち砕かれた。さまざまな研究書を渉猟し、出版社に勤める者にとっては天敵であるはずの「グーグル・ブックス」を利用しながら古い文献にあたっていくと、言語起源論が存在しない時代などない、と断言したくなるような光景が浮かび上がってきたからだ。やむなく作成を始めた「言語起源論一覧」は最終的に目を背けたくなるくらい膨大なものになった。

「これはトンデモないものに手を出してしまった!」という後悔の念と闘いながら、半ば意地になって執筆を続けた。当初の予定をはるかに越えて膨れ上がる原稿を進める中、心の支えになったのは、書き終わった説を一覧中で赤色に変え、その割合が画面上で少しずつ大きくなっていくのを確かめる、という実にささやかな喜びだった。本書では可能なかぎり多くの説を取り上げるよう努めたが、久しぶりに一覧を開いてみると、黒色のまま残っているものがある。泣く泣く取り上げるのを諦めた説を、この機会に紹介したい。

20世紀が始まった1901年、パリ大学で教授を務めるヴィクトル・アンリが著作を発表する。その表題は『火星語』と言う。権威ある言語学者が「火星語」? 訝しく思われるかもしれないが、本人はいたって真剣である。そうさせたのは、分析されている「火星語」を語り始めたのが有名な霊媒であるエレーヌ・スミスという女性だったためであり、この異形の言語を取り上げた心理学者テオドール・フルールノワの著作『インドから火星へ』が前年に刊行されて、ベストセラーになっていたためだった。

エレーヌがトランス状態で語る言葉が本当に「火星語」なのかどうかは問題ではなかった。アンリは『火星語』の「結論」で、この著作は「思弁的原理の実験的検証」の書である、と明言している。その思弁的原理とは「言葉と思考の起源における合致という苛立たしい問題」であり、なぜそれが苛立たしいのかといえば「人類の原初の言葉は私たちに閉ざされている」からだと言う。そうして「火星語」を分析したアンリが示す結論、それは「あらゆる言葉は、ゴロゴロ鳴るような音から始まる」というものだった。

その点に注目すると、ここで取り上げたいもう一冊の書物『神の科学』の刊行が『インドから火星へ』と同じ1900年だったという事実も偶然の一致とは思えなくなる。著者は、鉄道の駅員を務める傍ら著作を物したジャン=ピエール・ブリッセである。のちにブルトン、フーコー、ドゥルーズといった名だたる人たちが賞賛を送るブリッセにとって、全言語を貫く法則は「類似する音で表現されるすべての観念は、同じ起源をもつ」というものだった。これに従うなら、あらゆる言語を遡ったところには起源の言語が見出されることになる。そうして病的なまでの分析を行った結果、ついにブリッセは結論に到達する。言語の起源にあるのは、ゴロゴロと鳴くカエルの声にほかならない、と。やはり本人はいたって真剣である。

フロイトが『夢解釈』を発表したのは、まさに1900年。同じ年にパリを賑わせていた二冊の書物をそこに並べれば、言語起源論は姿を消したどころか、前の時代とは異なる衣装をまとって20世紀の思想を予告している。そう思うなら、フルールノワの書物にジュネーヴ大学の同僚だったソシュールから送られてきた書簡の引用が散見されることにも不思議はない。同じ霊媒が語る「インド語」に興味をもった言語学者が、火星の言葉に、そしてカエルの言葉に惹きつけられる光景を、私はつい想像してしまう。

(たがい・もりお 出版社勤務、言語論・思想史)
読書人の雑誌「本」2015年1月号より

互盛央(たがい・もりお)
1972年、東京都生まれ。1996年、東京大学教養学部教養学科卒業。2008年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、出版社勤務。
専門は言語論・思想史。著書に『フェルディナン・ド・ソシュール─―〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』(作品社、2009年。第22回和辻哲郎文化賞、第27回渋沢・クローデル賞)、『エスの系譜─―沈黙の西洋思想史』(講談社、2010年)。

互盛央・著
『言語起源論の系譜』
講談社/税抜価格:2,300円

神が言語を与えたのか、人間が言語を作ったのか。西洋思想史の展開の駆動力となった「言語起源論」の系譜をたどる。

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