ヘイトスピーチが横行する世の中で、もしも再び関東大震災が起きたら、どういう惨劇が起きるのだろう。 魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第108回

2014年12月28日(日) 魚住 昭
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朝鮮人が井戸に毒を入れる家の便所の汲取口には、白いチョークで記号が書いてあるからすぐわかると言う人がいた。その秘密は軍部が発表したという人もいた。

〈下戸塚などの高台では一様に手押しポンプで板の蓋を置いた井戸を使っていた。蓋を取れば井戸のなかが丸見えで、毒を入れられたら一溜りもない〉と、井伏は書いている。彼ほどの知識人でも流言飛語に踊らされたのである。

翌日の夕方、井伏が再び野球場に行くと、友人の小島がスタンドにしょんぼり腰をかけていた。

〈暴動のことを訊くと、大川端の方で彼等と日本兵との間に、鉄砲の撃ちあいがあったそうだと言った。もし下戸塚方面で撃ちあいが始まったら、我々はどうなるかという不安が強くなった。どこへ行くあてもない〉

言うまでもないが撃ちあいの話も完全なデマだ。しかし、井伏はそのデマに追い立てられるようにして9月7日の昼すぎ、故郷の広島へ向かう。中央線の汽車が立川駅から出るようになったと自警団員から聞いたからである。

井伏はカンカン帽に日和下駄をはき、立川を目指して歩き出した。新宿駅の北の大久保駅まで行くと、街道に「暴動連中」の警戒で消防団や自警団が出ていたので大久保から先は線路伝いに歩いたという。おそらくいちいち誰何されるのを避けるためだろう。井伏の回想。

〈誰も私のほかには歩いている者はいなかった。ときどき余震の来るたびに、線路沿いの電信柱が揺れて無気味だが、見通しのいい一本道だから暴動連中が襲って来れば遠くからでもわかる〉

中野駅付近で日が暮れかけた。井伏は南口の近くの芋畑に入って野宿することにした。寝床をつくろうと芋づるをかき回していると「お前さん、日本人か」と彼をとがめる者があった。見ると、六尺棒を持ってわらじ脚絆に身を固めた40歳前後の男が立っていた。

井伏は「日本人だ」と答え、事情を説明した。男は井伏が日本人であることをすぐ認め「お前さん、こんなところで寝ると風邪を引くよ」と言い、近くの長屋に連れて行って泊めてくれたという。

井伏は運が良かったと言わねばならない。当時19歳の演劇青年だった伊藤国夫(後の著名な演出家・俳優)は千駄ヶ谷で朝鮮人と間違えられ、自警団に小突き回された。彼はこの出来事にちなんで後に「千田是也」(千駄ヶ谷のコリアン)と名乗るようになる。

その千田も幸運な方かもしれない。震災時に朝鮮人と間違われて殺された日本人は司法省の報告にあるだけで58人。実際にはもっと多かったと考えられている。

井伏は翌日から高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪を通り、途中で友人宅に泊まったりして立川駅に着いた。駅には避難民が来るのを待っている列車があった。駅員は乗客に向かい「震災で避難する人は乗車券が不要だ」と告げた。

井伏を乗せた避難列車第1号は名古屋方面に進んだ。甲府駅のホームに大勢の人が集まっていた。彼は自分の目を疑った。ホームに避難民激励のため婦人団体や女学生の一団が整列していて盛儀のようだったからだ。焼いたそら豆などの入った紙袋が列車の窓から差し入れられた。その後、停車駅のたびに同じ光景が繰り返され、味噌汁や饅頭などが配られた。

日本人は同じ日本人にはかくも優しい。その日本人が朝鮮人や中国人に相対すると豹変する。関東大震災で虐殺された朝鮮人らの正確な数は不明だが、震災死者約10万人の1~数%、つまり千人単位と推定されている。

ヘイトスピーチが横行する世の中で、もしも再び関東大震災が起きたら、どういう惨劇が起きるのだろう。想像しただけで身の毛がよだつ。

*参考文献:『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(加藤直樹著・ころから刊)

『週刊現代』2014年12月27日号より

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