わき道をゆく~魚住昭の誌上デモ
2014年12月28日(日) 魚住 昭

ヘイトスピーチが横行する世の中で、もしも再び関東大震災が起きたら、どういう惨劇が起きるのだろう。
魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第108回

週刊現代
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〔PHOTO〕gettyimages

4~5日前から関東大震災のことを考えている。きっかけは、井伏鱒二の『荻窪風土記』(新潮文庫)を読んだことだ。冒頭にこんな印象的なくだりがあった。

〈荻窪の天沼八幡様前に、長谷川弥次郎という鳶の長老がいる。(中略)弥次郎さんの話では、関東大震災前には、品川の岸壁を出る汽船の汽笛が荻窪まで聞えていた。ボオーッ・・・・・・と遠音で聞え、木精は抜きで、ボオーッ・・・・・・とまた二つ目が聞えていた。確かに、はっきり聞こえていたという〉

それが震災後、ばったり聞こえなくなった。その理由を弥次郎は「この辺の澄んでた空気が、急にそうでなくなったということじゃないのかね」と述べているが、西荻窪に住む私には、十数kmも離れた品川の汽笛が荻窪まで聞こえていたとはにわかに信じがたい。

そこで天沼八幡のある荻窪駅北口に行ってみた。駅前を通る青梅街道を新宿方向に少し進んで天沼橋の坂の上に立った。ここは武蔵野台地だから海抜四十数mの高さである。眼下に青梅街道の下り坂がつづき、その向こうには新宿に連なるビル群が広がっている。

左前方に十数km先の東京スカイツリー(墨田区)がくっきり見えた。あんまり近いので驚いた。次の瞬間、弥次郎の言は嘘でなかったのだと実感した。海抜0mの品川の汽笛の音は、都心の空を伝い、緩やかに上昇しながら荻窪まで届いたにちがいない。

それがなぜ震災後に途絶えたのか。理由の一つは都心の建物が震災で木造から高層のコンクリート造りに変わり、汽笛の音がはね返されるようになったことだろう。

もう一つは荻窪一帯(今の杉並区)の環境の急変である。震災直前、甲武鉄道(今の中央線)に高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪各駅が新設されていた事情もあって、都心の被災民がどっと移住してきた。

震災前に約1万8000人にすぎなかった人口は震災後10年で7・5倍の約13万5000人に膨れ上がった。都心の寺院や大学なども次々と移転してきた。

麦畑や雑木林の広がる農村が建築ラッシュにわき、その騒音や生活音で汽笛の音がかき消されてしまったのだろう。人家やビルがひしめく今の杉並区は関東大震災後の混乱の中で誕生したのである。

震災が起きた大正12年9月1日、井伏鱒二は新宿・下戸塚の下宿屋にいた。その下宿屋が傾いだので早大の野球場に避難した。東京の街では三日三晩にわたって火焔地獄が展開し、4日目には燃えるものは燃えてしまったという。

井伏は震災当日の夕方、食事をとるためいったん下宿屋に引き返した。そのとき下宿屋の修復に来ていた鳶職人たちから朝鮮人暴動のデマを耳にした。

〈鳶職たちの話では、ある人たちが群をつくって暴動を起し、この地震騒ぎを汐に町家の井戸に毒を入れようとしているそうであった。私は容易ならぬことだと思って、カンカン帽を被り野球グラウンドへ急いで行った。(中略)私が井戸のことを言う前に、(友人の)小島君が先に言った。スタンドにいる人たちも、みんな暴動の噂を知っているようであった〉

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