「勉強を楽しくすることで、社会に貢献したい。そのために人間のことを理解することがいちばん重要」---参考書作家・船登惟希
佐藤 慶一
参考書作家の船登惟希氏

「勉強をもっと楽しくしたい」

現在の教育業界は、デジタル教科書やMOOCs(大規模オープンオンライン講座)などテクノロジーがどのように教育を変えるのかといったことは注目されている。そんな中、ひたすら紙の参考書を書き続ける人物がいる。

宇宙一わかりやすい高校化学』『大学受験らくらくブック』シリーズなどの参考書を手がける参考書作家の船登惟希氏(27)だ。中学校までは新潟県佐渡島で過ごし、新潟高校理数科に進学。東京大学理学部化学科、東京大学大学院理学系研究科化学専攻修士課程を経て、株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)に就職。その後、独立して現在に至る。

船登氏は「edutainment(エデュテインメント: education+entertainment)」に興味があり、「楽しみながら勉強できると同時に、わかりやすく本質をついた教育コンテンツをつくることで、社会に貢献したい」と考えている。これまでの著書の累計売上は14万部以上にもなる。

そんな船登氏が昨年11月、自身初となる新書『サマる技術』を上梓した。年に1000冊以上の本を読むという彼がどのように本を選び、要約(サマリー)をつくり、クラウドを活用して記憶をしているのか。その技術について書かれた本だ。今回、勉強が好きになったきっかけや参考書作家となった理由、新著の内容など幅広く話を聞いた。

大学の専攻選択と就活がきっかけで、将来を真剣に考えるようになった

小学校ではほとんど勉強していなかったという船登氏が勉強を好きになったのは、中学校に入ってからだった。定期テストに向けて対策を立て、努力することで、いい点数を取ることができた。「勉強でならいちばんになれるかもしれない」という実感を得たという。

「小中学校時代にバスケや水泳、陸上などさまざまなスポーツをしましたが、努力をしても人に勝てないという経験を繰り返してきました」。しかし、勉強でいちばんになることができ、それが自身のアイデンティティにつながった。よりよい学習環境を求めて、中学卒業後は佐渡島を出て、新潟県で偏差値がいちばん高い新潟高校理数科に進学。

最初の2年間は親戚の家に下宿、最後の1年間は双子の弟妹といっしょに新潟高校近くのマンションで過ごした。「佐渡にいれば生活費も安く済んだのに、親にも迷惑や心配をかけているという気持ちもあり、いいプレッシャーにもなっていました。また、佐渡から新潟高校に進む人が少ないこともあり、自分がちゃんといい成績を残さないといけないという勝手な使命感をもっていました」。バスケ部に所属しながら、勉強に打ち込んだ。

船登氏は、高校時代に予備校や塾に通うことはなく、独学で勉強したという。それでも高校は主席で卒業。「国立大学の試験は学習指導要領の中からの出題です。そのため、教科書の範囲を逸脱する問題を解いたりもせず、とにかく、定期テストでいい点数を積み重ね、出題パターンを身につけるようにしていました」。

医療関係の仕事に就いていた父親の影響もあり、高校3年生の夏までは医学部志望だった船登氏だが、「基礎研究を通して世の中に大きく貢献したい」と思い、東京大学理科Ⅱ類への進学を決めた。大学に入るとすぐ、「いちばん」がなくなってしまった。勉強以外になにができるのかと考えることはあったものの、最初の2年間はアルバイトやサークルなどを楽しんでいた。

2年次の進学振分けでは、化学科を選択。2つの理由がある。「数学が得意だったので数学科に進学しようと思ったのですが、到達できないような、いわゆる天才がいてあきらめたことがひとつ。もうひとつは、化学科なら、自分が生きている間に、インパクトの大きな研究が応用された世界を見ることができることでした。物理は研究成果が実社会に反映されるのに数百年、工学部は数年後である一方、化学はその中間くらい。そこで、化学科に進みました」。

このような理由で化学科を選んだものの、「実験が性に合わなかった」という。そこから、なにをやりたいのかを真剣に考えるようになった。もともと大学院に進む予定だったが、3年生のときに就活を少しだけ経験。「いざ就活してみると、意外となにもやってきていなくて、人に話せることも少ないことを実感し、焦りました」。

就活時には、非営利企業・団体にも目を向けはじめたとき、社会的なバリューを出しつつ、持続可能な活動をおこなう「社会起業家」という言葉に出会うことになる。写真家で「アショカ・ジャパン」創設者である渡邊奈々氏が書いた『チェンジメーカー』を読んだことがきっかけだ。

「そこで紹介されていた社会起業家の多くは、エリート街道から自ら飛び出したにもかかわらず、そのことについて悩んでいたことが印象的で、とても身近に感じられました。それから、自分も社会的な活動をしながらご飯を食べていきたいと考えるようになったんです」。その中でもTeach For Americaに感銘を受けたことから、教育に携わりたいと考えるようになった。

しかし、大学生活に話を戻すと、「化学科に進学したことを心底後悔していた」という状態だった。そこで、教育分野において、化学科での経験を最大限に活かし、また、化学科を選んだことになにか意味を見出すことができないかと考えたとき、科学の参考書とサイエンスノベル(科学小説)を出版することを思い立つ。「地元の友だちは勉強が嫌いな人が多かったのですが、僕はとても楽しいと思っていました。そこで、もっと皆が勉強を楽しめるような参考書や本を書いてみたいと考えました」。そんな折に、友人から出版甲子園の存在を教えてもらうことになる。

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