第105回 ティファニー(その二)父の資産のお蔭で息子は美を探究―「ガラスの工芸」が大豪邸に調和した

ティファニー社とアメリカ歴代大統領との関わりは深い。
それを象徴するのが、長い間会長室に飾られていた写真である。

真珠の首飾りをつけて微笑む、メアリ・トッド。
奴隷解放を成し遂げた、リンカーン大統領の妻である。
謹厳実直、質素でしられていたリンカーンだが、妻にはとても甘かったらしい。
リンカーンは、妻がティファニーで宝飾品を次々と買うことを許していたのである。

クリーブランド大統領のために「自由の女神」除幕式の招待状を作った。ジョンソン大統領に晩餐会用の陶磁器セットを作り、ケネディ大統領からは、キューバ危機で戦争を回避した事を記念する特製カレンダーの注文を受けた。

ティファニー社を創業、宝石事業によって発展させたのは、チャールズ・ティファニーだが、その息子のルイス・ティファニーは、父親とは別の方法で事業に貢献するとともに、アメリカのアートスタイルを確立させた。その功績は偉大である。

ルイスは1872年、24歳のときに、メアリ・ゴダードという女性と結婚した。
ゴダード家は優れた実業家を輩出した家系で、メアリはルイスの姉、アニーの結婚相手であるアルフレッド・ミッチェルのいとこであった。

結婚の翌年には長女が生まれた。
1874年、妻と1歳の長女をともない、ルイスはイギリス、フランス、イタリアへ写生旅行に出た。

ところが、この旅行のあいだにメアリは結核にかかったうえ、2人目の子供、長男を出産しながら、子供は3週間で死んでしまった。

ニューヨークに戻ると、一家は東二十六番街四十八番地に新居を構えたが、父、チャールズの別荘で過ごすことが多かったという。
この別荘で、ルイスは妻と娘をモデルに絵を描き、また写真を撮り始めた。また、1875年には、ブルックリンの「シル・ガラス製造工場」で、ガラスの実験を始めた。

父親の資産のお蔭で、ルイスは絵画に留まらず、様々な方面で美を探究していくことができたのである。

なかでも、ガラス工芸は彼を夢中にさせた。
既製品の赤や青ではない、もっと自然な色を出したい・・・・・・。

当時のアメリカはガラスの製造技術が低かったが、ボストン郊外にあったサンドウィッチ・ガラス社はヨーロッパに負けないほどの技術を持っていた。
しかし、ルイスはあえてブルックリンの「シル・ガラス工場」を選んだのである。
この頃、メアリは結核が悪化し、ルイスは長い間、家を空けておくことができなかったのだ。

妻を看病しながら、ルイスは毎日フェリーでイースト川を渡り、工場に通った。
職人たちから技術を学び、自分の作りたいガラスを作るため、研究を重ねた。

事業で大成功をおさめたのも父親の警句があったから

長年の努力が結実し、1885年、ティファニー・グラス・カンパニーが設立された。

とくに注目を集めたのは、ステンドグラスの窓だった。
それは、ガラスに着色したり、印刷したりする単純なものではなかった。
ルイスは中世の職人のモザイク手法を用いてはいたが、ガラスの色は単色ではなかった。それはいわゆる色のコラージュで、縞柄、まだら、斑点といった模様があり、ガラスの中に色の諧調があった。

ルイスが造りだしたものは、ガラスの絵画だったのだ。
しかし、この成功を待たず、1884年、妻のメアリは死去した。