読書人の雑誌『本』より
2014年12月14日(日) 森下圭子

ムーミンの作者トーベ・ヤンソン 生誕100周年を祝う---『トーベ・ヤンソン  仕事、愛、ムーミン』訳・森下圭子

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真夜中にボートでわざわざやってきて、何かと思えば「お誕生日おめでとう!」と歌い出す。誕生日の瞬間を祝いたいのだ。これはトーベ・ヤンソンが家族や友人に行う恒例行事。夏を過ごした群島地域では、こういうエピソードに事欠かない。

氷が残る海を泳いで島へ渡っただの、例えば「ぐるぐるパン」などの造語がふだんの会話の中でポンポン飛び出していたとか。まっ裸で海を泳ぐのは日常だし、島暮らしのトイレは天然で、一時期など岩に打ちつけた鎖をつかんで崖からお尻を海につきだし用を足していた。そして注目すべきは、こんな彼女に影響を受けた人が多いということ。

トーベ独特の言葉づかい、行事、習慣、トーベが群島を去って20年以上たつ今でも、島々の人の暮らしのあちこちに見受けられる。

人を楽しませるのが大好きなトーベは、それゆえ普段から話をつくるのが上手だった。島に遊びにきた客人を見送ったときのこと。客人のボートの縁をつかみ勢いよく押してあげた。ところが手を離すタイミングを間違えてしまい、トーベが縁にぶら下がったままボートが出てしまう。すぐに気づいてもらえて岸に戻ったのに、翌日には「誰も気づいてくれなくって、ボートにぶら下がったまま島を一周されちゃったわよ」ということになっていた。

話がうまいだけじゃない。人をほめてその気にさせるのが抜群にうまかったそうだ。小さな子供たちにとってはどうか。子供を子供扱いしない賢い大人という印象を与えながらも、一緒になって本気で遊んでくれる大人でもあった。決して教訓めいたことは言わない。ただ自分で考えさせるために対話する。多くの人が子供の頃のトーベとのエピソードをよく覚えているのは、こういうことも理由なのだろう。

トーベ・ヤンソンの子供の頃のエピソードを語れる人は、もうほとんどいない。でもインタビューの記録や弟の証言から、小さい頃から揺るぎない部分が窺える。例えば遊びだというのに、脱走ごっこで本気になってしまい、家の壁をぶち抜こうとしたというエピソード。読書に夢中になりすぎ、外の空気を吸ってくるようにと親に言われるまで家から一歩も外に出ず(しかも家を出たといっても中庭のゴミ箱の上に腰掛けて読書を続けた)、夜は懐中電灯を使ってまで読書を続けたりする子供。ただ残っている証言はとても少ない。
そんな子供の頃のエピソードを鮮やかに蘇らせたのが、今回畑中麻紀さんと共訳させていただいた評伝『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』(ボエル・ウェスティン著)だ。

本人が遺した子供の頃の日記、メモ、作品などを丁寧に読み解いていく。やがて評伝は少しずつ、トーベ・ヤンソンという人の生きざまに迫っていき、成長ぶり、どんなことに直面し何を大切に生きてきたかが明らかになる。これまであまり紹介されることのなかった素顔のトーベと、絵画や文学からあぶりだされるトーベ像が見事に繫がっていく。トーベの日記を読みながら、私たちはトーベの見た光景を想像する。そしてその光景と、たとえばムーミンに登場するエピソードや挿絵が重なるのだ。

日記やメモ、作品にはじまり、途中からは手紙が加わり、トーベの生きざま、心情が語られる。自分の作品を出版社や新聞社に送り続ける日々のけなげな感じ、断られても次こそはと自分を鼓舞し続ける。そして正当に評価されないときの憤り。激しさと脆さが混在している。堂々と本名で風刺画を発表する強靭さがありながら、トーベは脆かった。

それは彼女が真に大切にし、自分を突き動かしているものが「愛」だったからではないか。愛に突き動かされて完成した作品を認めてもらえないとき、恋人ヴィヴィカとの関係に終止符を打ったときなど、記録を読んでいて、何度も胸が締め付けられた。若きトーベは自分の脆さを夢や希望で本能的に守っていたのではないか。作品は誰かに迎合などしないトーベそのもの。だから、こうでもしなければ生きていけなかったのかなと思う。

トーベの記録を読み進めると、歳とともにいろいろそぎ落とされていくのが感じられる。もう夢や希望で守らなくても大丈夫。トーベ・ヤンソンがトーベ・ヤンソンとして純化されていくようだ。愛に生きた人の、偽りのない芸術と生きざま。読んでいると、なんだかふと肩の荷が軽くなるような気がする。いいんだよね、これで。「好きなように生きなさい」そんなトーベの声が聞こえてくる。

(もりした・けいこ 翻訳者)
読書人の雑誌「本」2014年12月号より

森下圭子(もりした・けいこ)
1969年生まれ。日本大学藝術学部卒業後、ヘルシンキ大学にて舞台芸術とフィンランドの戦後芸術を学ぶ。フィンランドへ向かったきっかけはムーミンだった。現地での通訳や取材コーディネート、翻訳などに携わりながら、ムーミンとトーベ・ヤンソンの研究を続けている。ヘルシンキ在住。

 

ウェスティン・ボエル・著/畑中麻紀・森下圭子・訳
『トーベ・ヤンソン  仕事、愛、ムーミン』
定価:3,600 円(税抜)

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