読書人の雑誌『本』
折口信夫という「謎」---『折口信夫』著・安藤礼二

本書『折口信夫』は、大江健三郎さんの一言からはじまった。拙著『光の曼陀羅 日本文学論』が大江健三郎賞を受賞した際、ただ一人の選考委員である大江さんから、あなたはもう一度あらためて折口信夫の「評伝」を書き直した方が良いのではないか、とアドバイスをいただいた。「評伝」というジャンルには、まだまだ大きな可能性がある。特に折口のように、その生涯にもその思想にも「謎」を秘めた巨大な表現者については、とも。

確かにそうだと思った。当時まで、あるいは現在でも、折口信夫の生涯と思想は、どうしても柳田國男との師弟関係から論じられることが多かった。もちろん、柳田もまた近代日本思想史と近代日本文学史の上に名前を残す偉大な表現者である。しかし、折口は、柳田の影響圏から容易にはみ出してしまう、より過激で過剰なものを抱え込んでしまっていたのではないか、と。

さらには、大江さんのみならず、三島由紀夫や中上健次や村上春樹という、これもまた現代日本文学の可能性を突き詰めた作家たちに、折口は密かに、しかも大きな影響を与え続けてきたのではないのか。そう思ってもいた。

三島や中上は、折口についてのアンビバレントな想いを率直に語ってくれている。大江さんはそれまではほとんど、村上は現在でもまったく、折口について語っていない。しかし、三島の『豊饒の海』四部作、大江さんの『万延元年のフットボール』、中上の『枯木灘』、村上の『1Q84』のなかには、いずれも、折口が自他ともに認める代表作『古代研究』で見出したマレビト、彼方の世界から訪れ、この世界に破壊と再生をもたらす荒ぶる神にして荒ぶる「異人」の面影が感じられてならなかった。

折口がいうマレビトは、生と死、祝福と恐怖、神と人という、相反する二つの側面をもっていた。折口によれば、この列島でマレビトの役割を果たすのは、柳田が民俗学の対象として提唱した「常民」には決して含まれることのない対照的な二つの極、王と詩人、折口自身の言葉で言い直せば「天皇」(ミコトモチ)と「乞食」(ホカヒビト)である。

折口は「天皇」について考え抜いた稀有な表現者だった。折口のマレビトが二重性と両義性をもっていたように、折口の「天皇」もまた二重性と両義性をもっていた。折口は「天皇」の本質を前近代的な社会、いわゆる呪術的な社会を統べる「呪術王」(マジカル・キング)であると考えていた。明治維新を迎えて再生した日本は、グローバルで近代的な国民国家を統べる主権者として、ローカルで前近代的な呪術王を据えてしまったのだ。

おそらくその点に、近代日本の可能性と不可能性、栄光と悲惨がともども由来する。民俗学と国文学が交わる地点に打ち立てられた折口信夫の古代学は、近代日本の陰画そのものだった。しかもその上、折口は「釈迢空」というもう一つの特異な名前(筆名にして「法名」)を用いて、短歌、詩、戯曲、小説、評論等々、日本語で可能であった文学表現のすべての分野で、第一級の作品を残していた。だからこそ、近代の日本に生を享け、近代の日本語を用いて表現せざるを得なかった意識的な作家たちにとって、折口は無視することのできない存在になったのであろう。

そうした折口信夫の生涯に秘められた「謎」を解き明かし、思想のもつ真の「核心」に迫ろうと試みたのが本書である。もちろん、そのような大それた試みが、どこまで実現できたのかは分からない。読者の皆さんからの忌憚のない御意見を、お聞かせいただきたいと思っている。

ただ、本書を書き進めていく過程で、これまでまったく知られていなかったいくつかの資料を発掘することができた。柳田國男に出会う以前の折口信夫は、前近代的で生々しい「神憑り」から生まれた神道系の結社と深い関係をもち、しかしながら、「憑依」が明らかにしてくれるその神秘的な体験の諸相を、きわめて近代的な学問の方法、主体と客体の区別を撤廃してしまう「一元論」の哲学や北東アジア諸地域を対象とした比較言語学にして比較神話学の方法を用いて明らかにしようとしていた。

折口信夫もまた近代日本という両義的な場を、生涯においても思想においても、生き抜いたのだ。だからこそ、いまだに、かけがえのない表現者として存在し続けてくれているのであろう。

(あんどう・れいじ 文芸批評家、多摩美術大学准教授)
読書人の雑誌『本』2014年12月号より

安藤礼二(あんどう・れいじ)
1967年、東京都生まれ。文芸評論家、多摩美術大学美術学部准教授。早稲田大学第一文学部卒業。大学時代は考古学を専攻する。出版社の編集者を経て、2002年「神々の闘争――折口信夫論」で群像新人文学賞優秀作を受賞、批評家としての活動をはじめる。2006年、折口の全体像と近代日本思想史を問い直した『神々の闘争 折口信夫論』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。2009年には『光の曼陀羅 日本文学論』(同)で大江健三郎賞と伊藤整文学賞も受賞した。他に、『近代論 危機の時代のアルシーヴ』『場所と産霊 近代日本思想史』『祝祭の書物 表現ゼロをめぐって』などの著作がある。

安藤礼二・著
『折口信夫』
定価:3,700円(税別)

日本の知の結晶ともいうべき折口信夫。文学、民俗学のみならず、その広大なる表現領域は他の者を圧巻し、全貌を掴むことが不可能とされてきた。
そこに、切り込んだ安藤礼二の『折口信夫』。この本を読めば折口の全体像がわかり、この本を読まずして折口を語るなかれと、後世の評価を受けることは確実である。
起源・言語・古代・祝祭・乞食・天皇・神・宇宙と題された章の数々──これを追うだけで心が打ち震えるではではないか。さらには、折口とアイヌや台湾を論じた列島論、西脇順三郎、井筒俊彦、平田篤胤と折口を研究した詩語論をも付記した世界に冠たる大著である。

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