第104回 ティファニー(その一)移民たちの子孫が王族の秘宝を買い漁る。貴重な宝飾品を売る「ブランド」の隆盛---

1848年2月18日、ルイス・ティファニーは、ハドソン川の畔の小さな家にうまれた。

一家の主人であるチャールズ・ティファニーは、落ちつかなかった。
半年前に、チャールズは第一子を熱病で亡くしていたのだ。
またもう一度、悲劇が繰り返されるのか・・・・・・。
だが、それは思い過ごしであった。
チャールズは、男子をさずかったのである。

「ティファニー」の御曹司ともなれば、銀の匙を咥えて生まれてきたように思われていたが、けっしてそうではない。

ウォレン通りの生家は、手狭な借家だった。
界隈はニューヨークのはずれで、風の強い日には魚市場から、鱈、鮭、牡蠣など、魚の匂いが流れてきた。
邸宅地には、およそ見えない、見栄えのしない場所だったのだ。

この年の正月早々、カリフォルニアで金鉱が発見された。
ヨーロッパ大陸では二月革命が勃発し、ルイ・フィリップのオルレアン朝が、突如倒壊した。
ヨーロッパ各地で、蜂起があり、主要な都市には、バリケードが作られた。
各国の王族、貴族たちは、国外に逃げようとしていた。
その為に、貴重な宝飾品が、売りに出された。

チャールズは、革命のニュースを耳に挟んですぐ、盟友ジョン・B・ヤングに電報を打ち、雑貨を買いつけるための資金を、すべて宝石購入に回すよう、指示した。
ティファニー・アンド・ヤング商会はもともと、ニューヨークで高級雑貨店を営んでいたのである。

ヤングとそのスタッフは、ヨーロッパを駆け廻って、秘宝を買い漁った。
そのギャンブルは成功した。王族たちは、自らの財産を二束三文で売り払い、現金を求めて目を血走らせた。

当時、ダイヤのコレクションとしては最高と謳われていた、ハンガリーのエステルハージ公爵のコレクション。ルイ十五世の宝石、マリー・アントワネットの遺品など、貴重品が、ティファニーの所蔵となった。

ティファニーとヤングは同郷だった。
ヤングの妹ハリエットとチャールズが、交際を実らせて結婚してからは、姻戚となった。
ヤング家は、メイフラワー号でアメリカにやってきた、建国の父たちの直系子孫である。
かつて、西欧から追われた移民たちの子孫が、数百年をへて王族たちの宝石を我が物とする。それは、やはり、一種の革命なのだろうか。

20代のアフリカ旅行で新しい精神を造り出した

ティファニーによって、アメリカの富豪たちは高価で貴重な宝飾品を身に着けることができるようになった。

当然、ティファニー自身も裕福になった。1860年には、住いを高級住宅街であるマディソン街二五五番地に移した。
そこは「マレー・ヒル」と呼ばれていて、近所には金融王モーガンも住んでいた。

ティファニーの新居は石造りの4階建てで、古代ギリシャ建築を用いた優雅な邸宅であった。

彼は押しも押されもせぬ富豪であった。
かくして、チャールズの息子、ルイスは、幼い頃より、ただただ上昇するばかりの環境のなかにいた。
富は当たり前のようにそこにあった。
ルイスは強情で気まぐれな子供だった。一人で、森の中を散策し、夢想にふけることを好んだ。

チャールズは大切な跡取息子を全寮制のイーグルスウッド・ミリタリー・アカデミーに入学させた。
厳父の命令に、ルイスはやむなく従ったが、召使いに囲まれ気ままに遊んでいた身には辛い日々だった。
17歳で卒業し、数学と美術で優等をとったが、このとき、ルイスの胸には、将来は画家になるのだという決心があった。