雑誌
男の夢 坂本龍馬の「脱藩」を論じよう
NHK大河ドラマ『龍馬伝』に感化されたおじさん多数
 NHK『龍馬伝』ではいよいよ「革命家・龍馬」の生涯が幕を開けた。今後の勝海舟との出会い、亀山社中、海援隊の結成、薩長同盟の尽力など、龍馬の活躍は脱藩の決意がなければ始まらなかったのだ。

国を捨て、家族を捨てる

 NHK大河ドラマ『龍馬伝』は、前回(3月28日放送分)、ついに福山雅治演じる坂本龍馬が土佐藩から脱藩し、ドラマが大きく動き始めた。今後の展開も見物だが、では、脱藩とはいったいどんなものだったのか。

28歳で土佐を脱藩した龍馬。 この決断がなければ日本の歴史は変わっていたかもしれない

 それは文久2年3月24日、龍馬、28歳のことだった。歴史家・安藤優一郎氏が言う。

「脱藩とは国を捨て、家族を捨てること。追っ手がかかると殺されるかもしれない。現代で言えば、会社を辞めるような生易しいものではありません。
  いまは他の会社に移ればいいわけですが、当時、脱藩すれば命の保証はないし、他藩の藩士になれるわけでもない。すべてを失うということだったのです。
  脱藩者は基本的に手紙も出せません。もし出せば、受け手が犯罪者と繋がっていることになりますから」

 そもそも藩とは、現代で言う国のようなもの。藩士とはその国に仕える武士のことだ。つまり、脱藩は国を裏切る犯罪、しかも重い罪だった。

坂本龍馬 脱藩の道を探る』の著者で、愛媛龍馬会顧問の村上恒夫氏がその実例を挙げる。

「龍馬の直後に土佐藩を脱藩した田中光顕田中光顕(みつあき)の家は家禄を取り潰され、中島与一郎は峠で歩行困難となり自刃している。それほど脱藩とは危険を伴い、覚悟が必要なものでした」

 鹿児島大学教授・原口泉氏が付け加える。

「脱藩とは、家臣のほうから一方的に主従関係を破棄すること。家禄の没収、家の断絶、近親者への縁座など、さまざまな形の処分がありました」

 ではなぜ龍馬は、脱藩を決意したのか。そこにはやはり過激な尊皇攘夷(王を尊び、外圧や外敵を撃退しようとする考え)を掲げ、土佐勤皇党を率いた武市半平太との思想の相違が大きく影響している。ノンフィクション作家・長尾剛氏が語る。