第103回 力道山(その四)総費用1億円の結婚式を挙げ、新婚旅行は1ヵ月。豪奢な幸福の後に……

2014年12月05日(金) 福田 和也

1963年6月5日、力道山は田中敬子と結婚した。
敬子は、日本航空のスチュワーデスで、父、勝五郎は神奈川県警の警視であり、茅ヶ崎警察署長だった。

力道山38歳、敬子21歳であった。
力道山はかつて小沢ふみ子という女性を妻にしていたが、彼女が正式の妻であったかどうかは、さだかではない。

また、敬子と結婚当時、力道山には三人の子供があったが、三人ともふみ子の子供ではなく、力士時代に京都で知り合った女性との間にできた子供だった。
それまで力道山は自分が朝鮮半島出身であることを周囲に隠し続けていた。世間には、「長崎県の貧しい農家で生まれ育った力道山」で通っていたのである。

自分の本当の出自を敬子に打ち明けると、うすうす知っていたらしい敬子は「あなたの口から聞けてよかった」と言い、力道山は涙を流したという。

ホテルオークラにおける披露宴は、それは豪華なものであった。
媒酌人は日本プロレスコミッショナーにして自民党副総裁であった大野伴睦夫妻と、京都府選出参議院議員の井上清一夫妻。
政財界、芸能界、スポーツ界から3000人もの客が集まった。
総費用1億円といわれている。
新婚旅行は、1ヵ月かけてヨーロッパからアメリカを回った。
旅先で服や靴で気に入ったものがあると、力道山は1ダースくらいをまとめて買ったという。

リキ・アパートメントでの暮らしは、かなりアメリカナイズされたものであった。
庶民には手の届かない、GE製の皿洗い機、乾燥機、温蔵機などが揃っていたのである。
敬子は毎週生活費として5万円を渡されていた。
当時、大学新入社員の初任給は1万4600円であった。

同年の9月9日。
ホテルニュージャパンにおいて、力道山は、オリンピック資金財団に1000万円を寄付した。出席者は、大野伴睦、川島正次郎前オリンピック担当大臣、石坂泰三資金財団会長らであった。
力道山は、60年の、ローマ五輪を視察しており、オリンピックというのは、国家的行事であり、国と国とのスポーツの戦いだという認識を得ていた。

ローマで、国を挙げて自国の選手を応援しているところを目の当たりにし、できる限り支援をしようという思いを強くしたのだ。
しかし、東京オリンピックにおける日本人選手の活躍も、それを応援する日本人の姿も、力道山は見ることはなかった。

「気をつけてください、この店には殺し屋がいます」

力道山最後の試合は、1963年12月7日に行われた浜松市体育館での6人タッグマッチだった。
力道山、グレート東郷、吉村道明組が、ザ・デストロイヤー、キラー・バディ・オースチン、イリオ・デ・パオロ組と闘った。

試合結果は、1対1の引き分けだった。
本来メインイベントであったこの試合が直前にセミファイナルに繰り上がったのは、力道山が帰京を急いだためである。

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