視聴率重視で起用されるテレビコメンテーターたちの危うさ
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井戸端会議化するワイドショー

文藝春秋11月号に、ワイドショー関係者が見たら目を剥くようなタイトルの記事が掲載された。

「ワイドショー『いかがわしさの正体』/社会が悪い、政治が悪い---。テレビコメンテーターの化けの皮を剥ぐ」

書いたのは京大名誉教授で関西大学東京センター長の竹内洋氏。戦後思想史をまとめた『革新幻想の戦後史』(中央公論新社)によって、2012年に読売・吉野作造賞を受賞した、日本を代表する知識人の一人である。

竹内氏はワイドショーや情報番組をよく見るほうだという。社会ネタから芸能ネタまで揃っているため、今を知るのに便利なのだそうだ。確かに世の中の出来事を、短時間の視聴で大掴みに出来る。同じように思っている視聴者は大勢いるだろう。

日本のワイドショーの嚆矢はNHK出身の故・木島則夫氏が司会を務めた『モーニングショー』(NET=現テレビ朝日、1964年4月~)。その誕生から、ちょうど50年が過ぎた。今や、すっかり日本人の生活に溶け込んでいる。

ところが、ワイドショーと情報番組の足下を危うくしようとしていると指摘されるのが、コメンテーター制度と呼ばれる日本独特の仕組み。この制度は80年代後半から本格的に導入され、当初は諸問題を専門家がコメンテーターとして解説する形態だったが、近年は様相が違う。人選の基準がはっきりしない。

竹内氏はこう書いている。

「元スポーツ選手や芸能人が経済問題や政治問題についてコメントするのは、筋違いだろう、とは思う。しかし、テレビ局はそんなことは百も承知でやっているのである。そもそも情報番組のコメントは井戸端会議として作られているものだからだ」(文藝春秋11月号より)

本当に制作者たちは井戸端会議を作ろうとしているのだろうか? 少なくとも90年代までのワイドショーは違ったはず。欧米の大衆紙のような役割を果たしていた。

グリコ・森永事件から山口組と一和会の抗争、オウム真理教事件などを、ニュース番組とは違った視点で事件を鋭角的に報じ、数々のスクープも放った。記者クラブとは無縁ということもあり、独自取材が大半。優等生的ではないが、野心に満ち、目線も低かった。

けれど、1分単位の僅かな数字まで争うためか、いつの間にかコメンテーターが語る時間が増えた。専門家の解説より、視聴率の取れるコメンテーターの言葉のほうがありがたいのかもしれない。とはいえ、それでは本当に井戸端会議と化してしまう。

ワイドショー、情報番組が苦手という視聴者も少なくないだろうが、相対的には高い視聴率を誇り、一定の世論形成力を持つ。井戸端会議で世論の一端が作られているとすれば、ちょっと怖い気がする。

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