金本、新井、緒方から菊池、堂林、丸まで二流の男は、こうして一流を育て上げた内田順三 前広島二軍監督「さらばカープ、愛しき赤ヘルたち」

小さな大打者・若松勉の陰に隠れ、数字を残せなかった内田順三は、現役時代の悔しさをばねに、一流打者を育てる名人になった。67歳になってもなお、請われる男が、カープ愛と赤ヘル魂を語った。

「ダメ」と言わずに育てる

駒沢大学を卒業後、プロに入って今年で45年目。選手、指導者として一度もユニフォームを脱ぐことなく、ここまでこられました。ありがたいことです。

私が今の評価をいただいたのも、自分の力ではなく、携わった選手がうまく育ってくれたおかげです。カープは自前で育てないといけない球団ですから、首位打者を2度とった正田(耕三)をはじめ、江藤(智)や金本(知憲)などもそれこそ、首根っこ捕まえてやらせました。彼らもつらかったと思いますが、打者としての土台を作るのに少しでも役に立てれば、と思っていました。

今季は一軍の野村謙二郎監督が勝負をかけていた。だから二軍を指揮した私も、勝利に執着できる選手の育成を求め、二軍戦も勝つことを求めました。

一軍は3位でCSに進出しましたが、日本シリーズは出られず、二軍もウエスタン・リーグで2年連続で2位に終わりました。

'08年に広島に復帰した時は広島に骨を埋めるつもりでした。「あと一歩」の壁が、私の情熱の源です。

内田順三(67歳)。今季まで3年間、広島カープの二軍監督をつとめ、来季から巨人の二軍打撃コーチに転身する。'70年に駒大からドラフト8位でヤクルトに入団、シュアな打撃が持ち味の左打ち外野手だったが、レギュラーには定着できず。日本ハム、広島と渡り歩き、'82年のシーズン途中から広島の二軍打撃コーチ補佐に就任した。その指導力と人望には定評があり、広島では正田、江藤、金本といった往年の名選手から、丸佳浩、菊池涼介、堂林翔太といった「次代のスター」たちまで指導した。

選手、指導者として通算27年間在籍したカープを離れるにあたり、愛弟子たちと過ごした日々を振り返る。

コーチになった当初、カープにいたベテランのコーチから言われた言葉を今でも肝に銘じています。

「ダメだ、と言ったら最後。ダメ、という言葉を使わずに指導してみろ」

二軍にいる実績もない選手に「お前はダメだ」と言ってしまったら、その選手はもう辞めなきゃいけない。ダメと言う前に、その選手の長所を見つけ、何とか伸ばす方法を考える。若手の育成は、無論本人の努力もありますが、コーチの手腕も大きいのです。

私の指導者としての生き方を決めたエピソードがあります。広島の一軍コーチになりたての'84年、当時、巨人のユニフォームを脱いで浪人中だった長嶋茂雄さんが、我々の秋季練習に1日コーチとして来てくださった。1番に定着していた高橋慶彦や外野のレギュラーを確保したばかりの長嶋清幸に、直接指導してくれたのです。