野球
二宮清純「秋山幸二-工藤公康の“政権交代”を演出した男」
~仕掛け人・根本陸夫かく動けり(前編)~

背番号81の継承

 3年ぶりの日本一を置き土産に6年間、福岡ソフトバンクの監督を務めた秋山幸二さんが退任し、OBで野球解説者の工藤公康さんが跡を襲うことになりました。

 秋山イズムの継承を掲げる工藤さんの背番号は、前任者と同じ「81」。工藤さんは「より強いチームを継続していきたい」と語っていました。

 さて、この政権交代を誰よりも喜んでいる人物がいたとしたら、15年前に他界した根本陸夫さんではないでしょうか。2人にプロへのレールを敷いた人物こそ、誰あろう根本さんなのです。

 秋山さんは熊本・八代高の出身です。ピッチャーで4番。九州では早くから評判の選手でした。

 3年の夏、県予選決勝の相手はのちに西武で同僚となる伊東勤さん(現千葉ロッテ監督)を擁する熊本工。八代はサヨナラ負けを喫し、甲子園の道を断たれます。

 秋山さんは卒業後、大学に進学するつもりでした。以下は本人から聞いた話です。
「夏の大会が終わったら受験勉強。夏休みは課外授業を受けながら図書館にこもっていました。自力で大学に行くつもりだったので、大学野球部のセレクションも受けませんでした。“大学に進学する”と伝えていたため、ドラフト指名は見送られました」

 ただ、当時はドラフト外入団という方法が認められていました。秋山さんを担当していたのは浦田直治スカウトでした。「4年後にはライオンズのサードを守り、クリーンアップを打って欲しい」。この一言で秋山さんは西武入りを決意します。もしプロに行くならピッチャーとしてではなくバッターとして勝負したい、との思いを抱いていたからです。