「あなたの避難所、安全ですか?」陸前高田の語り部に学ぶ防災

年明けの豪雪にはじまり、大型台風、集中豪雨、広島の土砂災害、御岳山噴火と、今年だけを振り返ってみても、日本の至るところで自然の猛威が人々に牙を向いた。その度に、私の周りにいる東北の人々は敏感に反応する。自分たちの街のように、誰かの命がまた奪われてしまわないだろうか。誰かが同じ悲しみ、同じ悔しさを味わうことにはならないだろうか、と。

「広島の土石流でも、避難所で人が亡くなっています。人の手で防げることがあるということを、何度でも伝え続けなけれななりません」。

そう語るのは釘子明さん(56)。昨年3月から震災語り部「釘子屋」を立ち上げ、これまでに1万4000人もの人々に、この街で起きたことを語り継いできた。震災前の街の写真や被災直後の映像、その中でも人々が立ち上がってきた様子を語りながら、津波の爪痕が残る市街地を参加者と共に巡る。高さ18メートルもの津波が到達した高台には、捻じ曲げられたフェンスが生々しく残る。「こんなことろまで波が追いかけてきたのか…」。参加者たちが息をのむ。

津波が到達した高台で、高校生たちに当時の様子を語る釘子さん。背後の市街地は既にかさ上げ工事が進められている。

真っ黒い波が押し寄せた3.11

あの3月11日、釘子さんはぜんそくの薬をもらうため、陸前高田市街地にあるクリニックに向かった。ちょうど駐車場に降り立ったそのとき、車が浮き上がるほどの揺れに襲われた。車のラジオから流れてきたのは、「6メートルの津波が来る」という情報だった。そのとき頭を過ったのは、前年のチリ地震津波だった。隣町の気仙沼にいたあのときも、予想の2倍近い2メートルの津波が川を遡上してきた。今回も12メートル近くの波が襲ってくるかもしれない。

すぐさま自宅に戻ると、母親と体が不自由だった近所の女性と共に、自宅よりも少し高台にある大石公民館に向かった。続々と集まってくる近隣の人々の避難誘導をしながら、100名ほどがそこに集まってきたときのことだった。山影から赤黒い煙のようなものが立ち上がるのが見えた。大石からは街や海の様子を見ることができない。一体市街地で何が起こっているのだろう。不気味な空気に辺りが覆われた、そのときだった。「津波だよ!逃げて!」誰かが叫んだのとほぼ同時に、山陰から真っ黒い水が瓦礫や家々、電柱を押し流しながら向かってくるのが見えた。「上がれ!早く上がれ!」叫び合いながら、その場にいた人々が一斉に、高田第一中学校へと向かう急道を駆けあがった。真っ黒い波は釘子さんの自宅を飲み込み、そして大石公民館まで押し寄せた。

目下に広がる、見たこともない恐ろしい光景。けれども呆然とする暇はなかった。ホテルに勤務していた釘子さんはしばらく、避難所運営の責任者を務めることになる。

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