第99回 谷崎潤一郎(その四) あらゆるものに貪欲に生きた作家は年老いたときどうなったか---

『細雪』を谷崎の『源氏物語』と呼ぶ見立てが、誰によってはじめられたのかは、詳らかにしない。
しかし『細雪』下巻完結直後の、昭和24年1月に発表された、折口信夫の『「細雪」の女』と題した批評は、なかでも最も早いものだろう。

その中で折口は、「源氏物語を読んで、須磨・明石よりも先へ読み進んだ人は、この女性の性格の中に、著しい類似を思ひ浮べたことであらう。紫ノ上―源氏の北の方―の幻影が見られることである」と指摘した。

この小説には、『源氏物語』も含め、谷崎の上方志向が結晶している。
谷崎が一家を上げて関西に移住したのは大正12年。『細雪』の稿を起こしたのが、昭和17年。
昭和23年に発表した『「細雪」回顧』のなかにこんな記述がある。

「変ると云へば大正末年私が関西の地に移り住むやうになつてからの私の作品は明らかにそれ以前のものとは区別されるもので、極端に云へばそれ以前のものは自分の作品として認めたくないものが多い」

食についても関西贔屓になり、「一体食味の点から見ると、関西は上国で関東は下国だ」(『東西味くらべ』)と云って、河岸の江戸っ子気質などは、完全に忘却している始末だった。

江戸の河岸の、冷たい風を毎日呼吸していた谷崎は京都において、奥深い、人々の睦みあいを知り、時にいけずないたずらを受けながらも、それを楽しんでしまう文化を進んで吸収していったのである。

昭和36年、『中央公論』11月号に『瘋癲老人日記』が発表された。
『瘋癲老人日記』の主人公、卯木督助は執筆当時75歳だった谷崎自身の姿を髣髴とさせるものだ。

77歳の卯木督助は自分の妻や娘たちには極めて冷淡だが、息子の嫁、颯子を大変かわいがっている。
老妻と住むはずだった隠居所の予算を注ぎこんで、時価300万円の猫目石を買ってやったり、水泳中の足の裏を見たいばかりに、庭にプールを作るのだ。
挙げ句の果てには、嫁に姦通を鼓舞する始末・・・・・・。

嫁の颯子にはモデルがある。
妻の連れ子・清治を妻の妹・重子の養子にして渡辺家をつがせるのだが、その清治の妻になった、渡辺千萬子という女性がその人である。
昭和37年5月23日付の同女宛の手紙がある。

「『老人日記』単行本が出来上りました近日署名しておくります。この創作が書けたのは君がゐてくれたお蔭です。いろいろのことで君のお蔭を蒙むることがいよいよ深くなつて行くのを感じます」

生涯を通し悦び、快感、贅沢を満喫した

老人の心理の頂点は、老人がこの女性に介護されながら、小児にかえって泣きわめく場面だろう。

「『颯チヤン、颯チヤン、痛イヨウ!』
マルデ十三四の徒ツ子ノ声ニナツタ。ワザトデハナイ、ヒトリデニソンナ声ニナツタ。
『颯チヤン、颯チヤン、颯チヤンタラヨウ!』
サウ云ツテヰルウチニ予ハワアワァト泣キ出シタ」(『瘋癲老人日記』)