イスラム国に憧れる若者たち 人を殺しても「戦場なら無罪」という論理 「自分探し」で海外に渡り、見ず知らずの他人を撃つ

2014年11月06日(木) 週刊現代

週刊現代経済の死角

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日本人では、今年8月にシリアで行方不明となった湯川遥菜さんが、現在もイスラム国に捕らえられているとみられる。もし日本人がイスラム国のメンバーとなった場合には、人質殺害の実行犯には、その日本人メンバーが選ばれる可能性が高い。自分がその当事者になったとき、彼らは耐えられるのか。そして彼らは、一体どうやって責任をとるのか。精神科医の香山リカ氏が言う。

「今回事情聴取を受けた大学生は、高校を卒業し、国立大学に通っていたわけですから、学力は高く、社会性もある程度保たれているはずで、本人が主張するほど特殊なケースとは考えづらい。彼がインターネット上で『死にたい』と何度も書き込んでいるのも、死を恐れないということではなく『気付いてほしい』『分かってほしい』という思いの表れでしょう。

今の日本は、『好きなことをやらないと意味がない』『組織の歯車になってはつまらない』という風潮が定着してしまっています。若者は『注目されなければ生まれた意味がない』という一種の強迫観念に苛まれているのかもしれません」

大人から見れば結局、「大それたことをやってみたい」「オレを認めてほしい」という幼稚な自己顕示欲と承認欲求が動機だったことは隠しようもない。「自分探し」「自分の可能性を試す」「自分の頭で考える」と言えば何でも許されると思っているのかもしれないが、それは一言で言えばただの「甘え」である。銃で他人の頭を撃ちぬき、ナイフで首を切り落とすといった行為を、彼らが現実のものとして捉えていたとは到底思えない。

そもそも、いくら海外の「無法地帯」であろうと殺人は殺人である。「これは戦闘だ」と言い張ったところで、まして「自己実現」などという愚にもつかない動機で人を殺した人物など、厳しく罰せられて当然のはずだろう。刑事事件に詳しい弁護士の田沢剛氏が言う。

「刑法3条には『国外犯』という規定があり、日本人が外国で罪を犯した場合にはそれが適用され、国内と同様の法律で裁かれることになります。戦闘で殺人や放火などの行為を行えば、法律の上では処罰を受けてもおかしくないということです」

たとえそこが戦場であろうが、日本の法と倫理のもとでは殺人など決して許されない。今後、浅薄な若者たちがこれ以上増長しないようにするためにも、法律の厳格な運用が望まれるところだ。

ところが実際には、これまでにも海外で戦闘行為に参加したり、兵士となって少なからぬ数の人を殺害した日本人も存在するにもかかわらず、立件に至ったことはないのだという。つまり現状では、たとえ人を殺しても「戦場なら無罪」、事実上のお咎めなしという不条理がまかり通るのである。

「海外での活動経験がある傭兵などが立件されたケースは、少なくとも私は聞いたことがありません。現実的には、警察が現地まで出向いて捜査を行い、証拠を集めることができないのです」(前出・田沢氏)

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