『若者のすべて 1980~86「週刊プレイボーイ」風雲録』より【第1回】 ~コミネとわたしの時代 島地勝彦~

コミネとわたしの時代  島地勝彦

当時、約40人くらいいた「週刊プレイボーイ」編集部のなかで、コミネ・タカオは一種のスパイス的存在だった。本書は地べたから週プレを観察していたコミネのノンフィクションである。

コミネにとってもあのころの週刊プレイボーイ編集部は真夏日のど真ん中にあったのだろう。男だけの編集部であったが、当時でいうエロくてヤバイ世界が毎日毎晩展開されていた。編集部の一人一人のもの凄いエネルギーが一丸となって、100万部という金字塔を打ち立てたのである。コミネもフリーの編集者として大活躍してくれた。

コミネにはじめて会ったのは内藤陳さんがやっていた新宿の「深夜プラス1」のバーのカウンターであった。コミネは「オマンコ、オマンコ」と大きな声で連発していた。たしか部下のナカムラ・シンイチロウにコミネを紹介されたのだろう。

人生は運と縁とセンスである。縁あってコミネが週プレの助っ人として姿を現したのは、それから間もないことであった。編集という稼業は才能で保っている。コミネには正規に集英社に入社してきた編集者にはない才能があった。

コミネは「大学を出てからそれまでコンピュータのセールスマンをしていた」という。行き当たりばったりに上野の小さな事務所に入って行ってコンピュータの営業をすると、「兄ちゃん、どう使うんや。やってみい」と言われて恐る恐るコンピュータを出して説明しだすと、「わし、小指がないんやが上手くやれるか」とオッサンが言ってきた。ヤクザの事務所だったのだ。

そんな経験談を面白可笑しく話すコミネにわたしはこころを奪われて、こいつは使える男だと判断したのである。
 

若者のすべて 1980~86「週刊プレイボーイ」風雲録』
著者= 小峯隆生
講談社 / 定価1,728円(税込み)

◎内容紹介◎

80年代の若者雑誌といえば、「ホットドッグ・プレス」、そして100万部を発行し社会現象にもなった「週刊プレイボーイ」である。伝説の編集長・島地勝彦氏は現在エッセイストとして活躍中、当時の編集部の多士済々ぶりはNHKスペシャル「全身編集長」としてドラマ化され話題となった。当時のWPB軍団はどんなドタバタの日常を送っていたのか、また編集者たちは何を考え、何を求めて企画をつくっていたのか---本書は80年代にその編集部で青春を過ごした一人の若者の、夢と欲と野心の物語である。

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