学校・教育
東大だって「L型大学」だ!真の「G型大学」が存在しない日本で教えるべき「経済」とは

G型大学とL型大学。今大学関係者の間で話題になっている言葉だ。

G型大学はGLOBALのG、L型大学はLOCALのLだ。経営コンサルタントの冨山和彦氏が、文科省の有識者会議(→こちら)でプレゼンした資料(→PDFはこちら)に出てくる。

日本経済は、自動車・電機機械などグローバル経済と互角に競争している経済圏と交通・飲食・社会福祉などグローバルと関係なく地方経済で活躍している経済圏と産業構造が二つに分かれている、というのが一般的な説明だ。冨山氏はそれを大学にあてはめると、G型大学とL型大学になると言う。

筆者のように、生粋の学者ではなく、役所を退職してから大学に来た身からみれば、冨山氏の大学観についてそれほど違和感はない。ただし、一般社会の経験がない純粋培養の学者からみれば、冨山氏の大学観はびっくりするだろう。

さすが、トップ・コンサルタントの冨山氏の資料では刺激的な表現が満載である。例えば、資料6ページにはG型大学は「極一部のTop Tier校・学部に限定」とされ、残りはL型大学として、資料7ページ(下図)のようなものを教えるべしという。

おおざっぱに言えば、今のような文系学部は不要で、専門・各種学校のように直せという意見のようだ。資料8ページには、「文系のアカデミックライン(L型大学には、従来の文系学部はほとんど不要)の教授には、辞めてもらうか、職業訓練教員としての訓練、再教育を受けてもらう」と書かれている。

簿記・会計より理論重視の大学教員たち

冨山氏のプレゼンに対し、多くの大学教員と思われる人から、ネット上で反対の声があがっている。これはいつものパターンで、教育を知らないコンサルの意見はあてにならない、という類いだ。プレゼンの大きな目的は、問題の所在を知らせるということなので、関係者に反対の声がすぐ出たのは大成功だ。しかも、関係者の反対が大きいというのは、筆者の経験則上、ずばり本質を突いていることがある(もちろん、まったく筋違いの大外れのこともある)。

筆者の関係している経済・経営学部をみると、冨山氏はL型大学で学ぶべきは「マイケルポーター、戦略論」ではなく「簿記・会計、弥生会計ソフトの使い方」と書かれている。

これを見た大学教員の反応は、①自分はG型大学の教員、②L型大学だが、今教えている「理論」は意味があり、冨山氏は大学がわかっていない、というものが多い。冨山氏は、東大法卒で、スタンフォード大経営学修士なので、経済学ではなく経営学のことを書いてしまったのだろう。ただ、言いたいことはわかる。

自他ともに認めるL型大学では、理論なんて教えずに社会に役立つこと、例えば簿記を既に教えている。筆者も大学で教えているのは、まず、弥生会計ソフトではないが、エクセルを使った表・グラフの書き方である。本コラムではよく図を使っているが、それらは授業課題として学生に提出させているものもある。

次に、簿記・会計である。これについては思い出がある。東大経済学部では、簿記・会計をまともに習わなかった。大蔵省に入省後、国税調査官と税務署署長として地方勤務がある。そのとき、国税調査のまったくの素人なので、税務大学校で、簿記・会計のにわか研修を受ける。一応試験もあるので、大蔵官僚ははじめてそのときに簿記・会計をすこしだけ勉強するわけだ。

筆者にとっては、この税務大学校での研修はその後大いに役立った。1990年代前半、大蔵省金融検査部で不良債権を査定する金融検査官になったときだ。金融検査は、銀行から提出された貸出先の財務諸表を1日に何十社もみる。簿記・会計がわからないと勤まらない。

当時不良債権が珍しかったので、不良債権が何かを知っている大蔵省幹部はほとんどいなかった。そこで、多少簿記・会計の知識がある筆者は、不良債権問題の担当になって、不良債権を数量的に定義し必要な引当額の算出や金融機関の自己査定の方法など、今日では当たり前のことの基礎を作った。その成果は、金融機関の債権償却(きんざい)などの本になり、各種の裁判で学識者として証言を求められ鑑定をすることにもなった。

不良債権問題は、金融制度調査会でも素人議論しかできなかった。著名な経済学者が委員でも、なにしろ簿記・会計を勉強したことがないのだから、彼らの意見は簿記を勉強した商業高校生以下のレベルだ。もちろん、当時の大蔵省幹部もまったく簿記・会計の知識がないので、不良債権処理策なんてわかるはずなかった。

今でもその伝統があるのだろう。簿記・会計は、経済理論より下の扱いで、有名大学ではあまり教えずに、経済理論に重点が置かれているようだ。

大学教員も、簿記・会計はわからないから経済理論を教えたくなるようだ。しかも、自分の独自のものを教えたがるようだ。「大学教員は、教室では誰も関心のない自説を述べて、学会では無難な通説を述べる」という一種のジョークさえある。自己満足にしか見えず、売れない「教科書」を書いて、それを講義のテキストに指定し、学生に購入させる大学教員は結構多い。

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