メディア・マスコミ
「伝説の編集者」ベン・ブラッドリー氏のキャリアが示す朝日新聞再生のヒント
植字室でニクソン辞任を報じる一面記事を見つめるベン・ブラッドリー氏 〔PHOTO〕gettyimages

メディア飛躍の原動力が調査報道にある

福島第一原発事故の「吉田調書」報道で朝日新聞が誤報を認めたことで、同紙調査報道の先行きに暗雲が立ち込めている。この報道を手掛けた特別報道部(特報部)が逆風にさらされているのだ。

特報部記者は記者クラブに属さずに、調査報道を専門に手掛ける役割を与えられている。月刊誌「FACTA」11月号によれば、誤報問題をきっかけに社内的には「どん底に突き落とされた」状況に置かれているという。

朝日は社内外の専門家で構成する「信頼回復と再生のための委員会」を発足させ、年内に方向性を打ち出すが、「信頼回復と再生」の決定打は何か。少なくとも特報部の縮小・解体ではない。むしろ逆である。

それを証明しているのが、米有力紙ワシントン・ポストが輩出した「伝説の編集者」で、10月21日に93歳で死去したベン・ブラッドリー氏のキャリアだ。メディア飛躍の原動力が調査報道にあることを如実に示している。

ブラッドリー氏がワシントン・ポストに入社したのは1965年のこと。当時の同紙は本拠地の首都ワシントンを除けば国内支局を持たず、海外にも片手で数えられるほどしか特派員を派遣していなかった。最も有名なコラムニストも政治担当ではなく、スポーツ担当。要は、ワシントンを本拠にする一地方紙にすぎない存在だった。

ブラッドリー氏が最高編集責任者のポストである編集主幹を務めた23年間(1968~1991年)でワシントン・ポストは様変わりした。ニューヨーク・タイムズと並ぶ代表的クオリティーペーパー(高級紙)へと脱皮し、全国的な影響力を持つようになったのである。名声とともに部数も増え、ブラッドリー時代にほぼ倍増して80万部を突破した。

クオリティーペーパーへの脱皮を決定づけたのは、1970年代前半の「ウォーターゲート事件」をめぐる報道だ。ブラッドリー氏は編集責任者として同事件を指揮。22日付ニューヨーク・タイムズの記事には「ウォーターゲート事件を指揮した編集者ベン・ブラッドレー、93歳で死亡」という見出しが付けられたのもそのためだ。

ウォーターゲート事件とは、共和党工作員による民主党本部への侵入をきっかけにした一大政治スキャンダルのことだ。ワシントン・ポストが共和党政権の関与を相次ぎ暴露したことで、1974年にリチャード・ニクソン大統領は辞任に追い込まれている。米大統領の辞任は史上初だった。だからこそ同紙のウォーターゲート事件報道は「調査報道の金字塔」といわれているのだ。

ペンタゴンペーパーの掲載を許可する連邦最高裁判決を読むブラッドリー氏と社主のグラハム氏 〔PHOTO〕gettyimages
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