読書人の雑誌『本』より
2014年10月31日(金) 池上正樹

「老後破産」激増の危機と「大人のひきこもり」---『大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち』著・池上正樹

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このたび、『大人のひきこもり―本当は「外に出る理由」を探している人たち』(講談社現代新書)を出版することになった。

世間に誤解されていることの多い「ひきこもり」という言葉だが、一口に言えば、社会とつながりがない孤立した状態のことだ。

この「ひきこもり」という概念を、診断名や定義、実態のないレッテルで分類しようとするのは、あまり意味がない。年齢で上限を区切れるものでもないし、その根拠もない。なぜなら「ひきこもり」とは、そういう状態が共通しているだけであって、そこにいるのはみんな一生懸命に生きようとしている、ひとりの人間なのだ。

人間だれでも、大なり小なり凸凹がある。ただ、その凹の部分が大きいと、そこばかり目立ってしまって、社会からはじかれてしまう。いったん社会から離脱すると、まるで個人に問題があるかのように見下されることも多く、再び意欲を持ち始めて動き出そうとする〝支援〟の現場でも、また深く傷つけられていく。

一方の家族は、ひきこもる当事者の存在を「家の恥」と考え、友人にも近所にもSOSの声を上げることができず、誰にも相談することができない。こうして当事者を抱え込むうちに、人脈や情報もなくなり、地域の中で家族ごと埋もれてひきこもっていく。そんな家族が煮詰まると、心中や殺傷事件などの悲劇につながることさえある。

これまでは「ひきこもり」というと、学生時代の不登校の延長や、就職活動などの過程で、正規社員に就くことができないまま社会から脱落したダメな〝若者〟の代名詞のように語られてきた。しかし、最近は、ブラック企業で傷つけられたり、リストラや介護、病気などで失職したりして、再び社会に出ることができなくなってしまった人たちが急増。現実には、高年齢者層にも多く見られる。

「アベノミクス」景気と言われながら、1年間に300社、400社と一生懸命応募し続けているのに、なかなか就職に結びつかない人たちも少なくない。そんな社会に戻れない〝新たなひきこもり層〟のことを〝失業系ひきこもり〟と名付けるメディアもある。

「父親のひきこもり」や「ひきこもり主婦」も珍しい話ではない。中には、年金で生活する祖母以外、両親と子供の親子二代が丸ごとひきこもっているという家庭の話も聞いた。いまや、「ひきこもり」は誰にでも起こり得る身近な現象なのだ。

「ひきこもり」層の中核にいる当事者たちの目線で見れば、ひきこもるという行為の背景に共通しているのは、これ以上傷つけられたくないし、他人を傷つけたくもなく、外の世界に命にかかわる危険を感じて、自分を防御するための手段だと感じていることだ。

また、空気を読んで周囲を気遣うあまり、他人にも迷惑をかけたくないと思って、社会的に撤退していく。たとえて言うと、目の前に魅力的な椅子があっても、他に欲しい人がいると譲ってしまって、自ら椅子取りゲームから下りてしまう。そんな心やさしい人たちだ。そして、次第に意義や意欲を失い、あきらめの境地に至ってしまった人たちなのだと思う。

私は、1997年から、「ひきこもり」という状態に着目してきた。2009年には、ダイヤモンド社のWEBサイト「ダイヤモンド・オンライン」で、「「引きこもり」するオトナたち」という連載を依頼された。当初は、半年の約束だったのに、アクセス数があまりに多かったことから、人気コラムとして、いまも続いている。

あるとき、コラムの最後に、筆者宛ての専用アドレスを載せた。すると、毎日、読者からメールが寄せられるようになった。その大半は、当事者本人からのメールだった。すべての人たちに返事を書くのは、とても不可能だ。ただ、「生きることに意義を見出せない」といった深刻そうな内容のメールには、優先的に返事を書くようにしている。その後、ワンコメントの短いやりとりが続くことも多い。

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