石川次郎 第3回 「編集長の仕事で重要なのは、どれだけ面白いヤツを編集部に引き込めるかでしょうね」

撮影:立木義浩

第2回はこちらをご覧ください。

シマジ ジローがいうように、新しい雑誌のコンセプトを考えるときの愉しさは編集者冥利に尽きるよね。一緒にやる相手が木滑さんならなおさらだったろう。

石川 そんなとき読売新聞からムックをやらないかと持ちかけられて作ったのが「メイドインUSAカタログ」だったんだよ。あれは「ポパイ」を創刊するためのウォーミングアップにもなった。もちろん木滑さんとぼくとの間には「ポパイ」の構想がすでにその前からあったんだけどね。

シマジ たしかにあのころのアメリカは情報の発信地だったし、元気があって面白かったよね。

セオ 石川さんは時代の風を読むのに長けた天才編集者だったんですね。

石川 いやいや、ぼくの編集者人生はむしろ恥のかきっぱなしでしたよ。ポパイの構想が認められていよいよ創刊する段になったとき、マガジンハウスに再入社したわけです。生き残った日本兵ではないですが「恥ずかしながら戻ってまいりました」という感じでした。

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そりゃあ、ぼくだってはじめは再入社に抵抗したんだけど、清水さんに「戻ってこい」といわれ、木滑さんに「清水さんが社長になるんだから手伝おうよ」といわれ、結局いわれる通りにしたんです。

会社に顔を出すと、みんな「なんで戻ってきたの?」って顔をしていた。「ポパイ」の構想を力説しても「そんな雑誌、売れるわけがない。なんでヌードをやらないんだ」といわれたりしてね。やっぱり出戻りには冷たかったよ。

立木 「ポパイ」の創刊は何年だっけ?

石川 1977年です。テスト版は76年に出しました。