第96回 谷崎潤一郎(その一) 引っ越しのたびに家具を買い替えた---日本を代表する文豪を今東光が振り返る

今東光、と云って反応する人が、今日、どれほどいるだろうか。
私ぐらいの年まわりだと、「週刊プレイボーイ」の名物記事だった『極道辻説法』を懐かしく思いだす向きもあるだろう。

『辻説法』は、若者のための人生相談という体裁なのだが、とてつもなく乱暴なのだ。
女子高生を孕ませてしまったのだが、どうしたらいいか・・・・・・。
といった質問が寄せられると、

「旨いことしやがって、俺にもやらせろ」

などと云う、僧籍にはあるまじき、ファンキーな発言をしていた人物であった。

今東光は、谷崎潤一郎に親炙し、また川端康成の親友でもあった、ある意味での果報者と云うことになるのだろう。

今東光の母親は、実の子供をさしおいて、川端ばかりを贔屓にし、着物を作ってやったり、御飯を食べさせたりしていた。
東光にとっては、ちょっと面白くなかったが、早くから世間に放りだされた青年であれば、是非もないだろう。

大正八年三月、谷崎が小石川原町から曙町に引っ越すという話を聞いて、東光は早速、手伝いに赴いた。

当時の引っ越しは、塵をかぶるのが当り前だったので、安直な支度で、赴いたのだが、驚くほど、家財が少ない。
思いあまって、「どうしてこんなに、荷物が少ないんですか」と聞くと、谷崎は平然と言った。

「大概の家財道具は屑屋に売っ払うんだ。そして新しい家に入る時に新しい家具を買えばいいじゃないか」(『十二階崩壊』今東光)

この後も谷崎は何度も転居するが、その度に同じことを実行した。

もう一つ驚いたのは、蔵書が少ないことだった。和漢の字引きさえ、手元に置いていなかったのだ。
記憶力が凄まじい谷崎は、我が脳中にあらゆる言葉を抱え込んでいたのである。

谷崎が小田原十字町に住まっていたときのことである。
映画会社の社長からの口添えで、早稲田の英文科の卒業生が、原稿を読んでいただきたいと、訪れた。

東光からすれば、大学の文科などで勉強したところで、小説家になれるわけがなく、読めたものではない文章で、つまらないことを書き連ねた物を読んでほしいなど、谷崎に対して、失礼千万と思ったが、谷崎の手前、厳しい事は云えない。
谷崎は、新作の喜劇について、気持ちよさそうに青年に話している。

夕食の後、東光は文学青年を近くの浜に散歩に誘い、忠告した。

「谷崎は、文学青年のもちこんだ小説なんて読みはしないよ。気がむけば、題名ぐらいは、眺めるかもしれないけどな」