川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

電力確保と経済成長は同義---電力会社を追い詰めるのは、日本にとって得策ではない!

2014年10月03日(金) 川口マーン惠美
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山梨県にある発電所の取水口(以下すべて筆者撮影)

電力の事業化の草分けはエジソンだ。エジソンが発明した白熱電球は、ガス灯が支配していたニューヨークの夜の風景を変えてしまう。エジソンの会社は、電球の大量生産から、発電、送電、配電事業にいたる大電力コンツェルンへと成長していった。19世紀に展開された第2の産業革命では、電力の果たした役割、つまり、エジソンの功績は大きい。

しかし、実業家としての彼の電力事業は、失敗に終わる。エジソンの発明した直流方式が、そのあと開発された交流方式に駆逐されてしまったからだ。エジソンのやり方は、低電圧送電のためロスが大きく、発電所を際限なく増やしていかなければならなかった。その点、交流電気ならば、電圧の変換が容易なので、作った電気を高い電圧で遠くまで運び、それを必要な場所で必要な電圧に変換して使うことができる。

しかし、エジソンは直流電気にこだわった。1880年代、エジソンが完全に敗北するまでの数年間、直流対交流の激しい競争が起こり、これは「電流戦争」と呼ばれている。

日本で最初に長距離送電に成功した駒橋発電所

さて、アメリカで電流戦争が起こっていた1880年代の日本といえば明治時代だ。明治16年(1883年)に、東京電灯という日本で最初の電力会社が設立された。東京電灯は、その3年後の19年には事業を開始したので、日本は、世界の技術発展とほぼ足並みを揃えていたと言える。まずは、都内の5ヵ所に火力発電所が作られた。

翌明治20年、東京の40万戸のうち、1万3000戸に電気が灯った。当時は、当然のことながら、官公庁や企業、そして裕福な家庭にしか、まだ電気は来ていなかった。しかも、日が暮れてから12時ごろまでしか使えなかったというから、電気は動力ではなく、もっぱら灯りとして利用されていたのだ。

次ページ しかし、それはまもなく変わる。…
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