ドイツ
電力確保と経済成長は同義---電力会社を追い詰めるのは、日本にとって得策ではない!
山梨県にある発電所の取水口(以下すべて筆者撮影)

電力の事業化の草分けはエジソンだ。エジソンが発明した白熱電球は、ガス灯が支配していたニューヨークの夜の風景を変えてしまう。エジソンの会社は、電球の大量生産から、発電、送電、配電事業にいたる大電力コンツェルンへと成長していった。19世紀に展開された第2の産業革命では、電力の果たした役割、つまり、エジソンの功績は大きい。

しかし、実業家としての彼の電力事業は、失敗に終わる。エジソンの発明した直流方式が、そのあと開発された交流方式に駆逐されてしまったからだ。エジソンのやり方は、低電圧送電のためロスが大きく、発電所を際限なく増やしていかなければならなかった。その点、交流電気ならば、電圧の変換が容易なので、作った電気を高い電圧で遠くまで運び、それを必要な場所で必要な電圧に変換して使うことができる。

しかし、エジソンは直流電気にこだわった。1880年代、エジソンが完全に敗北するまでの数年間、直流対交流の激しい競争が起こり、これは「電流戦争」と呼ばれている。

日本で最初に長距離送電に成功した駒橋発電所

さて、アメリカで電流戦争が起こっていた1880年代の日本といえば明治時代だ。明治16年(1883年)に、東京電灯という日本で最初の電力会社が設立された。東京電灯は、その3年後の19年には事業を開始したので、日本は、世界の技術発展とほぼ足並みを揃えていたと言える。まずは、都内の5ヵ所に火力発電所が作られた。

翌明治20年、東京の40万戸のうち、1万3000戸に電気が灯った。当時は、当然のことながら、官公庁や企業、そして裕福な家庭にしか、まだ電気は来ていなかった。しかも、日が暮れてから12時ごろまでしか使えなかったというから、電気は動力ではなく、もっぱら灯りとして利用されていたのだ。

発電所の水路橋

しかし、それはまもなく変わる。欧米で電気が産業のために活用されたのと同じく、日本でも電気は殖産興業の原動力に変わっていく。銀行、鉄道、紡績、鉱山、製鉄、機械工業などが、競って電気を使った。家庭の電化も進み、電気は一日中、あらゆるところで必要とされるようになった。そして、明治27年(1904年)、日清戦争がはじまると、電気が大幅に不足し始めた。

当時の電力事業のネックは、送電技術の貧困だった。長距離の送電ができなければ、あちこちに火力発電所を建てて、地産地消でやりくりするしかない。実際、日本全国に多くの電力会社が誕生し、発電をしていた。このころの発電は、石炭を燃料として蒸気を発生させ、その力でタービンを回す火力発電だ。

そのうち石炭が高騰し、豊かな水資源を活用する水力発電所が作られるようになった。しかし、送電技術は依然として大きなネックだった。だから、水力発電所も小規模で、かつ、近くで消費するというのが常道であった。

山梨県の駒橋発電所が完成したのは、明治40年(1907年)のことだ。長距離送電に成功した日本で最初の発電所である。山梨県から東京の早稲田まで、76キロの送電線がつながった。そして、同年12月20日の午後4時、山梨県で作られた電気で、麻布・麹町一帯に電気が灯ったのだった。

長距離送電の成功は、そのまま産業の発達につながる。電気を工業地帯に運べるなら、豊富な水と山の多い地形を利用して、遠方に大型発電所を建設すればよい。山梨県のように、富士山を水源とする豊かな水量があり、しかも、湧水に恵まれているので、年間を通して安定した取水が確保でき、標高の落差を利用できる土地となると、水力発電にはもってこいだ。以後、京浜地区の電力の大需要を、力強く支えていくことになるのである。

ちなみに、駒橋発電所は、107歳の老体ながら、現在もまだ使われている。当初の発電所は、レンガ造りの美しい建物だったが、昭和34年に改築され、その後、コンピューター制御となってからは、無人で運転されている。しかし、発電用水の取水口や水路橋等は建設当時のままの姿を今に残していて、歴史と情緒を感じさせる。一部は、国の重要文化財に指定されているそうだ。

同発電所の建設の様子を示す写真が、施設内に展示されており、とても面白い。明治時代のこと、資材や機材は鉄道で大月駅まで運ばれたが、そのあと現場までは、馬車や人力で運搬されていた。建設工事の方も多くは人力で、ツルハシ、シャベル、モッコなどを使って掘削し、岩盤にはノミで穴をあけ、火薬を詰めて爆発させる方法がとられたという。

送電線の塔は長い木の幹で、その上部に、命綱さえつけていない人々が、何人も得意気に立っている写真もある。サーカスまがいの光景だ。電線が渡河する場所だけは、木の柱ではなく鉄塔が使われたという。以来、この発電所が、日露戦争や、その後の2度の大戦などすべてを見ながら、明治、大正、昭和、平成と、黙々と働き続けてきたかと思うと、とても感慨深い。

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