第94回 ベーブ・ルース(その一)生涯本塁打714本。野球の神様は、「不良児」のときに恩師と出会った

「ぼくは七歳までの年月の大部分を、ボルチモア西カムデン通りにある父の酒場の上の部屋で暮らした。上の部屋で暮らさない時は、酒場暮らし、仲仕や船員や波止場人足や港の浮浪者たちの荒々しい言葉づかいを覚えた。酒場で寝起きしない時は、近所の街路で寝起きした。ぼくは出発点からそもそも腐っていた。そしてぼくが自分の境遇に気がつくまでには長い時間がかかった」(『ベーブ・ルース物語』ボブ・コンシダイン)

不世出の大選手、ベーブ・ルースは、若くして伝説の存在となった人物である。
ベーブは、大リーグで七百十四本の本塁打を打ち、ワールド・シリーズで十五本のホームランを叩きだした。

そもそも彼は、ピッチャーだった。
ボストン・レッドソックスに在籍していた時には、当時随一のサウスポーとして、二十九イニング無失点という剛腕ぶりをみせつけた。
とはいえ彼の栄光は、深い翳を背負っていた。

「ぼくは両親をほとんど知っていない。ぼくは何か言訳をいったり、子供としてぼくが欠点だらけであった責任を、全部人や場所になすりつけたくない。かりにぼくが富豪に生まれたとしても、ぼくは手におえなかったろう。自分の境遇に気がつくまで長い時間がかかった」(同上)

兄のジョンに頼ろうとしたが、彼は若いうちに亡くなってしまった。
姉のメームはボルチモアに住んでいたが、あまり面倒をみてくれなかった。
両親は一家の生活費を稼ぐために、一日、二十時間働いて、酒場を繁盛させようと一生懸命だった。

七歳の時、両親はボルチモアのセントメリー工業学校にベーブをいれた。
この学校は、当時、感化院と同様の施設と認識されていたという。
街で拾われた孤児、不良児、放蕩児、離婚で家庭が損なわれた子供など、親が貧乏で他に教育を受ける路のない家庭の子供たちを、収容する学校だった。

ベーブは、不良児として扱われたという。
しかしまた、ベーブにとってセントメリーでの生活は、きわめて有意義だった。

「ハーバード大学の卒業生はだれでも、彼の学校を誇りとするように、ぼくはセントメリーを誇りとしている。そして少し乱暴なようだが、その悪口をいうやつの鼻柱をなぐりつけてやったらさぞ気持ちのいいことだろうとおもう」

そして、ついにベーブは会うべき人物に出会った。
ブラザー・マシアス。
彼は、アメリカとヨーロッパの不幸な少年たちの救援事業に奔走している、カトリック教団ザヴィエル派の教団員であった。
マシアスは身長六フィート六インチ。
体重二百五十ポンドで、筋肉質の身体をもっていた。

マシアスは、ベーブとキャッチボールをしているうちに、野球選手としての才能があることを見抜いた。
毎日時間を決め、セントメリーの広い校庭の片隅で、バットでベーブに球を送り、手や足の使い方を丁寧に教えた。

マシアスのはからいで、ベーブは八、九歳の頃には十二歳のチームと、十二歳の時には十六歳のチームと、十六歳の時には学校の中で最も強いチームと試合をしたのだった。