日本生まれの私が、英国オックスフォード大学に学部入学した理由
Road to Oxbridge オックスブリッジに憧れて〜学部編〜

第1回第2回では「オックスブリッジの流儀」の概論として、4つの独自の教育システムを紹介してきました。今回からは、「Road to Oxbridge オックスブリッジに憧れて」シリーズとして、全4回にわたって、学士、修士、MBA、博士という道に進んだ卒業生・在校生が、オックスブリッジを目指したキッカケから実際の入学後の話を実体験という形で紹介していきます。今回は、学部編をお届けします。

友人と。オックスフォードでは試験を受ける際に正装をし、試験が終わったらお祭り騒ぎとなる。
下迫菜々(しもさこ・なな)
1985年東京都生まれ。4歳から8歳までアメリカ、カリフォルニア州在住。都立八王子東高校に入学後、15歳でドイツ、フランクフルト・インターナショナルスクールに転校し卒業。2004年よりオックスフォード大学でBiochemistry(生化学)を専攻し、2008年に修士号を取得。カレッジはセント・アンズで、カレッジ内のオーケストラやボート部に所属した。2011年よりロンドンのNational Institute for Medical Research(Medical Research Council、医学研究局による国立研究所)にて博士課程に進学、2015年修了見込み。研究内容はショウジョウバエの視神経回路の形成についての遺伝学。

日本の高校からドイツのインターナショナルスクールへ

ごく普通の会社員家庭の一人娘として産まれた私は、4歳から8歳まで父親の転勤の都合でアメリカに住んでいた以外は都内公立の小中学校に通い、「都立2番手校」というカテゴリーに属する高校に進学しました。

その私の人生に、オックスフォードにつながる転機が訪れたのは高校生の時でした。7年ぶりに父親が海外赴任することになり、高校1年の10月にドイツのフランクフルトへ引っ越したのです。

ドイツではフランクフルト・インターナショナルスクールに転入し、アメリカから日本に帰国して以来錆び付いていた英語を思い出そうと必死でした。授業中、わからない単語全てを電子辞書で即座に調べ、学校に居る間は常に神経を研ぎ澄まし、家に帰り着いた瞬間にソファーに倒れ込んで昼寝、という日常でした。英語力は向上していったものの、この頃はまだ卒業後は日本に帰国し、日本の大学に進学するのだと信じていました。しかし父親が2年も経たないうちに帰国することになり、突然進路について真剣に考えなければならない事態に陥りました。

この時、私には2つの選択肢がありました。1つは、日本の高校には休学という形で籍を残していたので、日本に帰国し、その高校を卒業して大学受験をすること。もう1つは、「逆単身赴任」として母親と二人でドイツに残り、インターナショナルスクールを卒業すること。今思い返せば、この決断が、日本の大学に進学するか海外の大学を目指すかの分かれ目でした。

なぜ海外の大学を目指したのか?

私がこの時、ドイツに残る、つまり海外の大学を目指すと決意したのにはいくつか理由があります。

まず、日本の学校とインターナショナルスクールの教育制度の違いに気付き、それが大学での教育方針にも当てはまるのではないかと考えたからです。例えば数学の教え方。私は詰め込み式の数学があまり得意ではなかったのですが、インターナショナルスクールでは教え方が違い、一問ずつゆっくりと掘り下げて証明をするということに重きが置かれていました。そのようなアプローチを経験することで数学への興味を持てるようになり、成績も上がり、理系学部への進学も視野に入れられるようになりました。このように、時間をかけて思考力を養う教育方法は、短期詰め込み型とは違い、一生使えるスキルにつながるのではないかと思ったのです。

二つ目の理由は、海外の大学に進学する、というなかなかないチャンスを無駄には出来ないと思ったからです。正直な話、大学卒業後の就職先については全く考えていませんでした。今思えば、日本で就職するのなら日本の大学に進学した方が、就活の波に乗ることもでき優位だったのかもしれません。しかし海外の大学を卒業した後には、日本のみならず海外のどこにでも行ける可能性がある、という点に惹かれました。もっと英語を自在に操ることができたら海外の企業で即戦力になれるかもしれない、英語力を、会話だけでなく、理論を展開させられるレベルにしたいと思ったのです。

そのような考えからインターナショナルスクールに残り、大学入学の資格となる国際バカロレア(International Baccalaureate) のディプロマ取得を目指すことにしました。