自分史の場合、自分史年表がコンテになる。いい自分史年表ができたら、自分史はもう半分できたといってもいい
立花隆著『自分史の書き方』---第2章 自分の年表を作る(1)

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「これからの人生(セカンドステージ)のデザインになにより必要なのは、自分のこれまでの人生(ファーストステージ)をしっかりと見つめ直すことである。そのために最良の方法は、自分史を書くことである」。(『自分史の書き方』より)

熟年層や就活生を中心に昨今ひそかなブームとなりつつある「自分史」。自分の人生を知る最良の方法でもあるこの自分史の書き方のノウハウを、「知の巨人」立花隆氏が一冊の本にまとめたのが、その名もズバリの『自分史の書き方』(講談社刊)である。その一部をご紹介していきたい。

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第2章 自分の年表を作る(1)

年表が自分史のコンテとなる

普通、文章を書く上でいちばん最初に迷うことは、なにについて書くかである。題材、テーマということだが、自分史の場合は、それが決まっているから、そこで悩むことはなにもない。自分という人間がどのようにできあがってきたか、その流れを時間を追ってながめなおす、というのが自分史の基本だ。

先の雨宮さんが書いた、初期の授業紹介にあったように、受講生たちに最初にやらせたことは、「自分史年表」を作ることだった。

通常、長い文章を書くときには、その大ざっぱな内容の流れをメモ風に記した「コンテ」を作るのが普通だ。自分史の場合、この自分史年表がコンテになる。いい自分史年表ができたら、自分史はもう半分できたといってもいい。それくらいこれは重要な要素だから、初期の授業ではここにいちばん力を入れた。自分史年表は何度も形を変えて作り直してもらっている。

最初スケッチ程度のものを出してもらって、それをまた教室のスクリーンに映し出して、いいもの、悪いもの、いい点、悪い点を具体的に指摘していった。いいものをいくつか紹介していくと、次の回では、皆がいいものを真似してとり入れてくるので、それを二度くらいやるとだいだい基本的なもの(コンテたりうる自分史年表)ができた。自分史年表は、いいものがいちどきにできるわけはないから、いろんな枠組みと、いろんなスケール(特に時間軸の長さ)で、習作的にいくつか作ってみることが重要である。

年表を作る意義は、それによって巨視的に自分の人生全体をパッと見渡せるようになることにある。大切なのは、「全体をパッと見渡せる」ということにあるのだから、はじめからあまりに詳細な年表を作ることに熱中するのはよくない。詳細すぎると、細部に目がいきすぎて、全体をパッと見渡すことができなくなるからである。

それでは自分史年表とは具体的にどういうものか、まずは現物をいくつか見てもらったほうがわかりやすいと思うので、以下に若干の実例を示す。実例を示すとともに、こういうものを作る上でどんな作業、どんな準備が必要なのかということをあわせて示していく。

自分史年表の骨格は、いわば、「履歴書(学歴・職歴)プラス個人生活史プラス家族史」みたいなものであるから、まずは、そのアウトラインを自分の思い出すままにメモ的に書いてみるところからはじめるのがよい。

履歴書は、普通の履歴書を少し詳しく書く程度でいいだろう。職歴の部分は、「仕事内容の歴史」「職場異動の歴史」が入っているほうがいい。個人生活史の基本は、住所変更の歴史をきちんとおさえることが重要だ。

人間の人生はすべて4次元時空(空間軸プラス時間軸)上の移動の歴史だ。人間はすべて、「あるとき」「ある場所」で誕生する。誕生点といってよい。それから一生の間、4次元時空の時間軸上、空間軸上を移動しながら生活を続けていく。

そして、やがて、命数が尽きたとき、人は、4次元時空上のある一点(あるとき、ある場所)で死ぬ。死滅点といおうか。結局、人の一生は誕生点から出発して、死滅点へと向かう長い長い4次元時空上の航海のようなものだ。自分史はその航海日誌のようなものだ。

人の一生を4次元時空上の軌跡として一目で描けるような4次元マップがあったとして、その上に、人の一生をトレースしてみたら、どの人の一生もそう大したものではないということがすぐにわかるだろう。時間軸上はどんなにがんばってもたかだか100年程度しか生きられない(きわめて少数の人は100歳以上生きるかもしれないが、どんな長生きの人でも130年は生きられない)。

ヒトの一生は宇宙の歴史130億年、地球の歴史40億年にくらべたら、ほとんどゼロに等しいといってよいくらいの瞬間的「時間存在」でしかないのだ。空間軸上の存在者としても、世界を股にかけて活動、活躍する人でも、一生かけて地球上をせいぜい数周する程度だろう。職業パイロットでもせいぜい数百周だろう。宇宙空間の宇宙ステーション上の宇宙飛行士なら、90分で地球を一周できるが、それでも一生かけて地球を数千周するのが関の山だろう。将来人間がどんなに空間移動能力を発展させたとしても、人間の技術では、天文学的距離の基本ユニットである「1光年の距離」(地球を2億3652万周するのに匹敵)を克服できる日が来るとは思えない。太陽系の外に出て、いちばん近い恒星であるアルファケンタウリ(約4・3光年離れている星)まで行くことすら永遠にできないだろう。

肉体的存在者としての人間は4次元時空上の移動能力という観点からすると、地球周辺に閉じこめられた存在なのである。人間がその空間を脱することができるのは、想像力の飛翔の中においてだけである。この問題についてこれ以上論じることは、本書では避けるが、自分史を考えるときに、あるいはなにを考えるときでも、人間はどんな偉い人でも、本質的に無限の広がりをもつこの宇宙の中において、そのような卑小な存在者にすぎないということを、頭の片隅に置いておくべきである。

いずれにしても、人間の一生は、4次元時空上の軌跡という観点から巨視的にながめ直してみると、誰のものでもそう大したものではありえない。觔斗雲に乗ってこの世の果てまで飛びまわってきたつもりになっても、お釈迦様の掌の上から出られなかった孫悟空みたいなものだ。

限定された航海者ではあるが、自分史という形で、自分の生涯をかけての航海全体をふり返ろうとするとき、大切なのは、まずその大きな全体像をとらえて、自分の人生の大きな構造を見ておくことである。若いとき、すなわち、大航海に出発する前の頃、あるいは航海に出発した直後の頃は、期待に胸がふくらむばかりで、未来の未知の航海部分ばかり大きく見えて、全体が見えなかっただろうが、いま50代、60代という人生の後半戦に入ったところで全体をふり返ってみると、全体像が全体として見えてくるはずである。精密にではなくとも、自分の全体像がなんとなく見えてきたという気持ちが生まれてきたときが、自分史の書き時である。

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