自分史にはフロイトの精神分析療法のような自分の暗部を解きほぐす癒しの効果がある
立花隆著『自分史の書き方』---第1章 自分史とは何か(2)
立花 隆

「立花隆の自分史倶楽部」では、立花隆氏の著書『自分史の書き方』を参考にして「自分史」を書いた方の投稿を募集しています。
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「これからの人生(セカンドステージ)のデザインになにより必要なのは、自分のこれまでの人生(ファーストステージ)をしっかりと見つめ直すことである。そのために最良の方法は、自分史を書くことである」。(『自分史の書き方』より)

熟年層や就活生を中心に昨今ひそかなブームとなりつつある「自分史」。自分の人生を知る最良の方法でもあるこの自分史の書き方のノウハウを、「知の巨人」立花隆氏が一冊の本にまとめたのが、その名もズバリの『自分史の書き方』(講談社刊)である。その一部をご紹介していきたい。

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第1章 自分史とは何か(2)

「恥やトラウマ」を書きこんで自分を癒やす

「あとがき」で、この母親との確執のくだりを、継さんは、「恥を忍んで」書いたと表現していた。

人は誰でも、このように、書けば自分の恥をさらすようなことになるからなかなか書けない部分をもっている。それを自分史の中でどう処理するか。そのあたりで、自分史の中身がずいぶん変わってくる。もちろん、そういう恥になる部分には、ふたをしたまま、一切ふれない書き方もある。ふれても正面からは書かず、表面的なことをあっさり書くだけですますというやり方もある。むしろ、そのほうが普通かもしれない。日記をつける人でも、みんな多かれ少なかれ、日記の中でウソをつくように、自分史の中でもさまざまのレベルでウソをついたり、真実を隠したりするものだ。とくに他人の目にふれることが確実な場合は、ますますそうなる。それが、いけないというのではない。

だが、何人かの人は、(たとえば継さんのように)自分史のそういう部分に、正面から向き合って、恥となる部分も臆することなく書いている。そういう作品はいずれも相当読みごたえがあるものに仕上がっている。

どういう形で処理するのがよいかはケースバイケースだと思う。純粋に自分のためにだけ書き、自分以外の誰にも読ませるつもりがないのであれば、それは相当深いレベルで、恥となる部分を書いてもいいだろうが、誰かに読ませるつもり、あるいは、読ませるつもりでなくとも、誰かの目にふれることが予期されるのであれば、その人との人間関係の濃淡に応じて、それなりの按配をしてしかるべきかとも思う。しかし、「本当の自分を知ってもらう」ことに重きを置くなら、恥となる部分まで踏みこんで書いたほうがよいと思う。そこまで書くことによって、自分とそれを読む人間との間に一種の秘密の共有関係のようなものが生まれ、その人との関係はより深いものになるだろうからだ。

この点に関して、もう少し一般論をしておけば、誰しも、ずっと心の片隅に置いたまま、わざと触れずにおいた、心の中のわだかまりのようなものを、みんな大なり小なり、もっているはずである。それについて書くことで、そのわだかまっていたものがほぐれてくる。自分史を書くことには、そのような癒やし効果のようなものがある。

これは、フロイトの発見した、精神分析療法の理論と同じである。心の中のトラウマ(精神的外傷、心の傷)になっている部分を直視し、自分の心の奥底にそのようなトラウマがあったが故に、自分の心に特別な歪(ゆが)みが生じていたのだと認識する、その認識を得たとたん、心の歪みは消えていくというのがフロイトの洞察であり、彼の実践的治療法だった。たしかにこの理論そのままのことが自分史を書く作業の中でも起きるということを、わたしは何度も経験している。

そういうトラウマ部分は、いざ自分史を書くとなっても、なかなか書けない部分である。それについて書くということ自体に抵抗がある。はじめちょっとだけふれる程度に書いても、なかなかその深奥部に踏みこめない。

この自分史を書く授業では、今度はこのあたりを書いてとか、こういう要素について書いてとか、いろいろな課題を与えながら、そこまでに書いた自分史を提出させて、そこにいろいろなチェックを入れるということをした。添削とまではいかないが、いろんな書きこみをした。「?ここよくわかりません」とか、「もっとくわしく」とか、「Good!」とか、ほんのちょっとしたコメントを書いておくと、それに刺激されて、どんどんよいものになっていくということがよく起きた。

しかし、何人かの人は、強いトラウマにとらえられていて、なかなか前にすすめず、何度書こうとしてもどうしてもひっかかる部分で筆が止まったまま、何日も何日も新しいものがいっこうに出てこないということが起きた。

途中で筆が止まったまま動けなくなった人が何人かいたが、そういう人の中で、ある日突然、それまで書けなかったことをちょっとだけ書き出したら、それまでためにためていたことが、一挙にほとばしるように出てきて、「もう止まりません」状態になってしまった人もいた。

その人は、結婚したあと、嫁姑の間のすさまじい確執にまきこまれて、自分の声を出して自分の意見をいうことなどまったく不可能という恐ろしい抑圧状態の中で人生の大半を過ごしてきた人だった。ずっと抑え続けてきたその恨みつらみにほんのちょっとした出口を与えたとたん、それが爆発的に噴出してきたのである。それはびっくりするほどすさまじいものだったが、ここでは具体的引用は避ける。

ここで引用するものは、すべて、本人の了承をとったものだ。そのように恨みつらみが噴出したようなものには、本人の了解がないから、これ以上は書かない。授業中にそのような内容につながる話をするときも、オブラートに包んだような話しかしなかった。

自分史を書くときに出てくる一つの問題は、このように、人には言いたくないし、書いたとしても人に見せたくない、そういうプライバシーの極致のような話があるということである。

自分史には、そういうプライバシーの極致のような話がどうしても出てくる。

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