「芸能界と暴力団」第1部 本当のことを書いたら、事務所をクビになりました なべおさみ×森功「私が出会ったヤクザたち」

2014年09月18日(木) 週刊現代

週刊現代経済の死角

upperline

「友人」は抗争で殺された

森 なべさんは渡辺プロ時代、水原弘さんの付き人として、そんなヤクザと付き合っていたわけですね。

なべ 僕みたいな小物……。付き合うとも言えません。'74年、僕が渡辺プロを離れ、森繁久彌さんの付き人になったときは、菅谷政雄さん(山口組最高幹部・菅谷組組長)が「裏から助けてやろう」と背中を押してくれました。

森 時代は変わりますが、'89年から、射殺される'97年まで五代目山口組の若頭だった宅見勝は大阪・ミナミでクラブを経営していて、そこには芸能人もよく来ていたと聞きます。

なべ クラブ「西城」ですね。

森 西城秀樹の実のお姉さんがママをしていたクラブですよね。業界では宅見ねえさんで通っていた。

なべ 僕は酒を一滴も飲みませんが、「西城」にお邪魔したことはあります。宅見さんと僕の間にはお付き合いはありませんでしたけれど。

森 店に芸能人が訪れ、小遣いをもらうという、儀式めいた習慣があったと聞きます。大阪でコンサートなどの興行を打つ場合、「宅見さんに挨拶をしないとマズイ」とも言われていたそうですが?

なべ 当時のヤクザの大物は、芸能人のタニマチになりたがる人たちでした。そして、芸能人は御祝儀をもらう側だったんです。一方で、ヤクザは興行という形で、スターをシノギの一つの手段に使っていました。

森 しかし、今はヤクザが興行に関わることが難しくなった。

なべ まず無理ですね。

森 '60年代は、美空ひばりが神戸芸能社(社長は三代目山口組・田岡一雄組長)に所属していたように、芸能とヤクザは表裏一体の存在だった。神戸芸能社は一時期、山口組の大きな収益源の一つでした。そんなヤクザが興行に関われなくなり始めたのは、いつごろからなのでしょうか。

なべ ひばりさんが山口組との関係を理由に公的な施設を使わせてもらえなくなったのは、'70年代前半のことでした。

けれど、本当にヤクザが興行に関われなくなったのは法律が厳しくなった近年でしょう。

森 それまでは、興行主の背後にヤクザがいたということですね。

次ページ なべ ヤクザ自体が興行を行って…
前へ 1 2 3 4 5 6 次へ

このエントリーをはてなブックマークに追加 RSS
関連記事

最新号のご紹介

underline
アクセスランキング
1時間
24時間
トレンドウォッチ