「芸能界と暴力団」第1部 本当のことを書いたら、事務所をクビになりました なべおさみ×森功「私が出会ったヤクザたち」

2014年09月18日(木) 週刊現代

週刊現代経済の死角

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安藤組の大幹部だった花形敬さんの勧めもあって、僕は明治大学に進んだのですが、専攻は文学部の演劇科。そのころから芸能の歴史を研究してきました。

森 花形敬といえば、安藤組組長の安藤昇に最も信頼された人物ですね。

なべ はい。当時の不良少年たちの憧れの的でした。僕が若いころやんちゃをして、渋谷で喧嘩をしていきがってたときに救ってくれたのが、花形さんだったんです。

学校ではキレイ事しか教えてくれませんが、自分で調べれば、江戸時代からヤクザと芸能が切っても切れない関係だったことが分かる。かつて両者の世界は表裏一体だったのですから。その後も芸能界とヤクザは共存共栄の関係を築き、それは長く続きました。

森 僕の認識はちょっと違います。確かに成り立ちのころのヤクザは、芸能人や堅気たちとの共存を図ろうとしていたのかも知れません。しかし、やがてヤクザ組織は収益を上げるためのシステムと化してしまい、堅気との共存は二の次になっていった。そして、社会からの批判を浴びるだけの存在になった。

よくヤクザは必要悪だと言われますが、僕はそんな肯定的には見られない。必要な悪ではなく、社会に生まれざるをえなかった悪、つまり「必然悪」だと思っています。

なべ ヤクザ組織において、収益を上げるためのシステムが優先され始めたのは、高度経済成長期以降のことでしょう。

僕が芸能界入りしたのは昭和30年代前半ですが、当時は僕たち芸能人や堅気を食い物にするようなヤクザに、大物はいませんでした。芸能人を脅すようなヤクザは、たいしたことがない小物だった。ヤクザは堅気の人がいてこそ生活できる生業だと、大物は分かっていました。

森 ヤクザから無理な頼み事をされたことはなかったんですか?

なべ ありません。そもそも「上」で、つまりヤクザの幹部と芸能プロダクションの上層部で話が付いていました。

たとえば、僕が渡辺プロダクションに所属していた1960年代の場合、大阪では山口組系の南道会などが興行を手掛けていて、東京まで「荷」を買いに来ていました。荷とは興行用語で芸能人のこと。キャバレーなどのショーのステージに立つ歌手やタレントの出演交渉を、組織の人たちがやっていたのです。僕が知る一人は、こめかみから顎にかけて大きな刀傷があったので、「チャックさん」と呼ばれていました。

森 ヤクザが興行を手掛けたのは、山口組に限ったことではありませんよね。

なべ ええ。東京の住吉会などにも興行の専門家がいて、そういった人たちは、あらゆる歌手の情報が頭の中に入っていました。昔は芸能プロダクションの幹部や担当マネージャーと昵懇のヤクザが何人もいたんです。

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