小松一郎・前内閣法制局長が
命を懸けて安倍政権に残した課題

9月11日午後、東京・虎ノ門のホテル・オークラのアスコットホールで「小松一郎殿を偲ぶ会」が催された。

病魔と闘いながら、安倍政権の職務を遂行

故・小松一郎前内閣法制局長 photo Getty Images

去る6月23日に逝去された小松一郎前内閣法制局長は駐仏大使を経て昨年8月に内閣法制局長官に就任し、集団的自衛権など安全保障に関する憲法解釈の再整理・変更に尽力したことで知られる。

故小松一郎氏は1972年外務省入省、フレンチスクール(フランス語研修)出身である。

当日は、7月1日の憲法解釈変更の閣議決定を主宰した安倍晋三首相も出席した。故小松氏が病魔に冒されてからも抗がん剤を打ちながら5月15日の安保法制懇談会(座長・柳井俊二元駐米大使・61年)の報告書提出まで職務を遂行したことに、安倍首相は挨拶の中で「深い感銘を覚えた」と語った。

「偲ぶ会」の発起人は、杉田和博内閣官房副長官(事務担当・66年警察庁)、谷内正太郎国家安全保障局長(元外務事務次官・69年外務省)、斎木昭隆外務事務次官(76年)、柳井氏ら8人。それぞれ故小松氏に深い関わり合いがある人たちである。

特に、杉田、谷内両氏には特筆すべきものがある。まず、谷内氏から。そもそも駐仏大使だった小松氏を内閣法制局長官に起用すべだと安倍首相に進言したのは谷内氏である。同氏は、「偲ぶ会」参加者に配られた小冊子に「職あり 略あり、変に臨んで迷わず」と題した一文を寄せている。

「彼の公平無私な献身的な支えによって、私も曲がりなりにも何とか条約局長、事務次官等の職責を全うできたと思っています」――第1次安倍政権時、当時の谷内事務次官の下で小松国際法局長が集団的自衛権行使の「4類例」を構想したことは周知の事実である。