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スペシャル対談 養老孟司×内田樹 日本人はなぜ、「バカ」になったのか
——「ありのまま」「ネトウヨ」「ヘイトスピーチ」を大批判
週刊現代 プロフィール

養老 建て前としては「ありのままの自分」で行動していると言うけれども、実は一億総消費者になるために、個に分断されてしまっているわけですね。

内田 他者と共生する技術を持たない人たちが大量に出てきたのは、地域や親族などの共同体の解体の結果だと思います。

養老 僕たち年寄りは死んでいくから別にいいけど(笑)、若い人がこの先どうなるのか。正直、心配です。

内田 養老先生も先ほど言われたように「ありのままで」という言葉が流行しています。でも、「ありのまま」だけじゃ生きてゆけない。人間は「公」と「私」の葛藤の中でしか成長できない生き物です。大事なのは公私の「さじ加減」なんです。公共の福祉と自己利益を秤にかけて、適切な比率を見出す技術は場数を踏む以外に身につけようがない。

その経験知を備えた人が減りました。「誰かがやらなければいけない仕事なら、私がやる」という考え方をする人が一定数いないと社会は保たないんですけどね。

養老 一方で、そういう世界を小説で上手に捕まえているのが池井戸潤さんじゃないですか。『半沢直樹』の。

内田 そうなんですか。

養老 銀行や企業の中に、やはり公のルールというか、いわゆる倫理がきちんと守られていなければならないということが、一貫したメッセージになっている。現代版『水戸黄門』ですね。

内田 『大岡越前』にしても『暴れん坊将軍』にしても、公を代表する人物が、私利私欲で悪事をなす連中に正義の鉄槌を下すという物語は最近なくなったのかなと思っていましたけれど、やっぱりあるんですね。今それが求められているということは、高い公共性や職業倫理を持った専門家に、いい加減出てきてほしいという国民的願望の現れなんじゃないでしょうか。

「落としどころ」を探らない

養老 今は家族や共同体が消えちゃったので、「公」を遠すぎるところに求めるんですよね。自己評価やよりどころを求めて、いきなり直に「日本」につながろうとするから、変に歪んだナショナリズムに走り、ネトウヨになってしまう。

内田 生身の人間が語る思想は必ず「ノイズ」を含むもので、そう簡単に「すっきりしたもの」にはならない。でも、そのノイズがむしろ説得力になり、連帯の基礎になるんです。そういう生身の身体感覚が、今の政治運動には左右どちらにも欠落していますよね。