雑誌 企業・経営
みんなが面白くないと思うものを面白くする創造力を持つことが、人生を、より豊かにする秘訣なのかもしれません。
ナムコ 萩原 仁

『パックマン』『ゼビウス』などの名作を世に出し、コンピューターゲームの黎明期から業界を牽引してきたナムコ。現在、ゲームメーカーとしての機能はバンダイのゲーム部門と統合してバンダイナムコゲームスになり、ナムコはゲームセンターやテーマパークなど、アミューズメント施設の運営を行っている。ユーモアあふれる人柄の萩原仁社長(55歳)に聞いた。


はぎわら・ひとし/'59年、神奈川県生まれ。高校卒業後、'78年にナムコへ入社し、'92年に神奈川大学第二経済学部を卒業。'06年にバンダイナムコゲームス執行役員に就任。'07年からナムコ・アメリカINC.、ナムコ・ヨーロッパLTD.取締役(非常勤)を兼務、その後、上席執行役員、アミューズメント営業本部長などを歴任し、'14年より現職 ※ナムコのwebサイトはこちら

テキトー

私が入社する前、ナムコは中村製作所という社名で、デパートの屋上にある、100円を入れると前後に揺れる木馬のような機械などをつくりながら、独自開発のビデオゲームを世に出そうとしていました。

志望理由はテキトーです(笑)。高校卒業時に「自分が何かやっている実感が欲しい。誰かの仕事の歯車にはなりたくない」と考え、社員数200人程度だったこの会社を知り「これくらいのサイズが合ってるかな」と思ったんです。

成長の条件

入社後、長くゲーム機の製造や資材調達に携わる仕事を担当しました。当時は(木馬のような)メカニカルな遊びがテレビゲームなどに変わっていく時期で、私はゲームセンターや、当時、喫茶店でテーブル代わりに置かれていたゲーム機をつくっていました。これに伴い、会社も急成長した。やはり、やることが時流に乗っている企業は伸びるのだと思います。

バイク 長野と群馬の県境にある日本の国道の標高最高地点付近で電気系統がすべて故障したときの記念写真。'92年、仲間たちとのツーリング中だった

ブーム

若手時代に学んで大きかったのは「仕事はあきらめたら終わり」ということ。ゲーム機の売り上げは流行に左右されるため、ヒット商品が出ると「早く納品してほしい」という要望が殺到します。もちろんメーカーさんに「材料が間に合わない」などと言われますが、あきらめてはいけない。

間に合わない理由を質問し、「材料があれば加工してもらえるんですね?」などと聞いて、本来は私が訪ねるべきでない材料屋さんにも行ってみるんです。すると「ほかの商品のためにとっておいた材料でよければ」などと解決策が見えてくる。表面的なやり取りだけでは実現できないことってたくさんあるんです。

この経験は今も生きています。先日も、若い仲間が計画を達成できず暗い顔をしていたので「上司に“諦めずに努力したい”と言って、それを許容してもらう方向で相談すればいいじゃない!」と話しました。暗い顔して考えていても、暗いアウトプットしか出てこないはずですからね。

学生に戻る

20代後半、大学の二部に入学しました。深夜まで働く毎日の中で「このまま年齢を重ねても何も残らないのでは?」と思ったんです。また、私は自分をいじめるのが好きなので、会社と家庭に加え、学業の両立にも挑戦したかった。18時に会社が終わるのに、授業は18時から(笑)。遅刻して教室に入ると、まず黒板を一気に書き写します。その後、どんな内容だったかを想像しながら授業を聞くと、最初から聞くより内容が頭に入ってくるような気がしました。