国連が法規制を求める「ヘイトスピーチ」は、もはや「ネットの娯楽」では済まされない!

2014年08月26日(火)
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14年3月23日、東京・西葛西で行われた「ネオナチデモ」ではハーケンクロイツ旗が掲げられた(撮影:秋山理央)

ヘイトスピーチは「言論による暴力」であり「犯罪行為」

李さんの話に戻ろう。彼女はこう続けた。

「京都朝鮮学校襲撃事件の一審判決の後、『次は自分が闘う番だ』と思った。しかし日本には差別を裁く法律はなく、名誉棄損罪や侮辱罪などでの刑事での立件はハードルが高いため、民事での損害賠償請求に踏み切った。

もちろんライターである以上、一時はペンで闘うことも考えた。が、ペンを持たない一般の人たちは一体、どう闘えばいいのか。ネット上で、路上で、ヘイトスピーチを浴びせられ、声も上げられず、俯き、黙らされているのは圧倒的に一般の人たちだ。彼ら、彼女らをどうすれば守ることができるのか・・・と考えた結果、訴訟というやり方を選んだ」

私自身、李さんと同じ仕事に就く者として、「言論には言論で対抗すべき」という立場だ。が、それはあくまで相手の言動が、憲法に保障された「言論・表現の自由」の範囲内の場合である。

冒頭の国連人種差別撤廃委員会による勧告案に対し、日本政府は「憲法が保障する『表現の自由』などの関係を慎重に検討しなくてはならない」などと慎重な姿勢を崩していない。が、そもそも「ヘイトスピーチ」は憲法で保障される「言論」や「表現」に値するものなのか。

元「解放出版社」事務局長で、現「にんげん出版代表」の小林健治氏は、自らのブログ「連載差別表現」の中で、差別表現とヘイトスピーチの違いについてこう綴っている。

〈 差別表現とヘイトスピーチ(差別扇動・憎悪扇動)は社会的差別(出自、民族、性などの属性による)を受けている被差別マイノリティに向けられている点は同じだが、決定的違いは、主観的な差別、つまり、その攻撃性と目的意識性にある。

ヘイトスピーチは、社会的差別の存在を前提に「マイノリティ集団を傷付け、貶(おとし)め、排除するための言論による暴力」であり、犯罪行為である。"話者の品格"の問題でもなく、"対抗言論"で対処できる性質の発言ではない。言論の暴走は必ず肉体に抹殺にいたる。 〉

そしてヘイトスピーチは、ヘイトクライム(差別・憎悪犯罪)に発展し、最後はナチスによるユダヤ人、ロマ人らへのホロコーストなどジェノサイドに繋がっていくと指摘する。

つまりヘイトスピーチは〈言論による暴力〉であり、それ自体が〈犯罪行為〉であり、憲法によって守られる「言論・表現の自由」の埒外にあるのだ。それは前述の朝鮮学校襲撃事件裁判の中で、ヘイトスピーチも「言論・表現の自由」に含まれるとの在特会側の主張が、「人種差別撤廃条約」に基づき、司法によって退けられたことでも明らかだろう。

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