読書人の雑誌『本』
天命―火薬を研究する---『火薬のはなし』著・松永猛裕

このたび講談社ブルーバックスから『火薬のはなし』を上梓することができた。

この本は、防衛(軍事)技術に一切、関わっていない人間が書いた、世界的にも珍しい火薬の本といえる。私は独立行政法人産業技術総合研究所という産業の発展と安全を研究する研究機関で働いている。火薬類取締法という法律を所管する経済産業省の技術的な支援を行うのが私の研究室のミッションである。火薬はエネルギーを貯蔵できる素晴らしい化学物質であり、いろいろな産業で平和かつ有益に使われている。この本では、そういう平和利用と火薬のサイエンスという視点に重きをおいた。

ところで、私がなぜ、火薬という特殊な物質を研究するようになったか? それはジャンケンに負けたことによる。本当ならば、大気汚染/光化学スモッグの研究者になっていたはずだった。

私が育った静岡県浜松市は自然豊かなところだった。中学生の頃、東京に行く機会があり、東京タワーの展望台に上った。当時は光化学スモッグが社会的な問題となっており、東京の空はとても汚れていた。そこで、子供心に「この空をきれいにしてみせる!」と思い込んだ。その後、順調に東京の大学に進み、希望の研究室に配属になり、望み通りの研究ができるはずだった。しかし、大気汚染を卒論のテーマにできる枠は一人、これに対して複数人の希望者がいた。そこで、私はジャンケンの戦いに負けたのである!

痛恨のチョキ! 人生は努力していても思い通りにはならないものだ。結局、卒業論文から博士論文まで火薬や爆発性のある化学物質の物性評価が研究テーマになった。幸いにも同じ研究テーマでここまでやれている。チョキがもたらした運命だが、今では天命かなと思っている。なにより、私のような自然と平和を愛する人間が、火薬を研究しているというのが良い。

私が天命などという非科学的なことをいう理由がもう一つある。高校の時の化学の先生が、かつて陸軍の研究所で火薬の研究をしていた方だったのだ。生徒たちが退屈そうな雰囲気になると、先生は火薬とか爆発の話をし始めてリフレッシュさせて下さった。先生が勤めていた陸軍の研究所は現在、明治大学の生田キャンパスになっている。また、当時の研究施設はそのまま保存されて資料館として公開されている。先日、資料館に行く機会があり、衝撃を受けた。当時の組織図に本当に先生のお名前があったのだ。さらに毒ガス弾の開発に携わっていたらしいことも分かった。

ブルーバックスで解説しているが、私は行政からの依頼で旧日本軍の毒ガス弾の安全な処理方法の開発研究をしている。なんという奇縁だろう。これらを時系列でまとめると次のようになる。

1940年頃後に高校で化学を教えてもらう先生が、陸軍の研究所で火薬と毒ガス弾の開発を行う。

1975年頃その先生から高校で化学を教えて頂く。

1982年大気汚染の研究をすべく意中の大学の研究室に入る。後でわかったが、この研究室は伝統ある火薬研究室だった。

1988年通産省化学技術研究所(現・産総研)に入所。現在まで火薬・爆発の研究に従事。
2000年頃旧日本軍の毒ガス弾の安全な処理方法の開発研究を行う。後に実用化される。

火薬の研究者は近年、日本ではとても少なくなった。そんな中で、私自身は意図しないにもかかわらず、絶えず火薬に関係があったのは不思議である。天命というしかない縁を感じる。

私の最近の悩みは後継者がいないことである。私が大学生の頃は、国内でも数ヵ所、火薬を研究する講座があった。しかし、今ではほとんどなくなった。となると後継者がでてくるアテがない。本の中でも書いているが、私自身、火薬の研究から化学物質の爆発危険性・安全対策技術の研究にシフトしてきている。また、近年、化学産業や大学の化学実験室での爆発事故が問題になってきている。私のような天命を負った方が後継者として目の前に現れることを心から期待している。

(まつなが・たけひろ
独立行政法人産業技術総合研究所 高エネルギー物質研究グループ長)
講談社 
読書人「本」9月号より

松永猛裕(まつなが・たけひろ)
1960年、静岡県浜松市生まれ。東京大学工学部卒業。工学博士。反応化学科(当時)の伝統ある火薬研究室で、爆発性物質の物性評価を行う。1988年、通商産業省工業技術院化学技術研究所に入所。改組後、現在は独立行政法人産業技術総合研究所安全科学研究部門に勤務。火薬および爆発性物質の安全研究に携わる国内で数少ない専門家。

著:松永猛裕
火薬のはなし 爆発の原理から身のまわりの火薬まで
(講談社ブルーバックス/税別価格:980円)

本書は、火薬の化学的側面だけでなく、宇宙ロケットやエアバッグなどの実用的な利用から、打ち上げ花火と「玉屋」「鍵屋」のエピソードまで、火薬のすべてを分かりやすく解説します。

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