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佐々木俊尚(後編)「『無償の愛の交換ができない』からこそ、居心地の良さを希求して、適応する」
愛は幻想だけど構築可能なもの

各文化人や一流ビジネスパーソンが、これまでの半生を振り返りつつ、自分にとっての「愛」とは何か?を語るインタビュー連載。第一回はジャーナリストの佐々木俊尚さん。前編はこちらからご覧ください。

佐々木俊尚(ささき としなお)
作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て、フリージャーナリストとしてIT、メディア分野を中心に執筆している。

98年、毎日新聞社の事件記者として多忙を極めていた佐々木俊尚は警視庁担当を外れ、遊軍記者としてさまざまな現場に足を運ぶようになった。新聞記者としてのキャリアにも脂が乗ってきた頃だ。右耳が聞こえなくなったのは、突然のことだった。

「その日はちょうど、小渕内閣が組閣された日。小渕氏の自民党総裁就任演説を取材しに、自民党本部に出かけたとき、『小渕総裁、 万歳!』って声が聞こえた瞬間、耳がびーんと聞こえなくなって。先輩に言ったら『それは突発性難聴だから、明日休んで病院に言ったほうが良い』と言われて翌日警察病院に行ってMRIを撮ったら、突発性難聴ではなく巨大な腫瘍が頭の中にありますと言われて」

3ヶ月後に会社に復帰したが、都内版担当に移動になった。このまま同じ仕事を続けていくのか。なんだか、めんどくさいな……。

十数年間、必死で仕事のことだけを考えて来た、佐々木の人生の糸が、そこで、切れた。

自分でもう一度、人生を設計し直すしかない

そうだ、お遍路さんに行こう。99年の夏、一週間の休みをもらい、以前から歩きたかった、遍路道に出向いた。すり潰されるような暑さと疲労の中、ひたすらに歩いた。歩き終えた時、佐々木の中で何かが漂白された。

「それで何か決着がついた訳じゃないけど、秋の異動の前に、会社をやめてしまって。その頃アスキーに知り合いがいて、辞めるなら、話を繋ぐよと言われていたから、ちょうどいいや、と」

しかし、当時はIT系ベンチャーだったアスキーには、それまで毎日新聞で感じていた家族的なつながりはなかった。佐々木は突如として、社会からも、家族からも切り離されたような気分に陥った。

「当時ITはオタクのものだったからね。自分の専門外をずっとやらされている気分だった。東海村の原子力発電所の事故で世間が騒いでいるときも、以前だったら今頃は現地に行ってたはずなのに、ああ、俺にはもう何の関係もないのかと思うと、社会から切り離されたような気分に襲われた。定年退職したサラリーマンの『会社ロス』みたいな。人生で初めて、頼れるよすがと言うのかな、家族的なものが欲しいと思った瞬間だった」

自分でもう一度、人生を設計し直すしかない。新しいやり方で、新しい仕事をしなければ……。