ライフ
佐々木俊尚(前編)「人との『絆』を幼いころに経験しなかった自分にとって、人間関係を築く事は恐れでもあった」

愛は幻想だけど構築可能なもの
小野 美由紀

人々のライフスタイルが多様化するとともに、われわれは恋愛・結婚のロールモデルなき時代に突入した。各文化人や一流ビジネスパーソンが、これまでの半生を振り返りつつ、自分にとっての「愛」とは何か?を語るインタビュー連載。第一回はジャーナリストの佐々木俊尚さん。佐々木さんが波瀾万丈の人生の中で見いだした、愛の作法とは?

佐々木俊尚(ささき・としなお)
作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社などを経て、フリージャーナリストとしてIT、メディア分野を中心に執筆している。

「自分にとって、人間関係は悩みの種だった」と、佐々木は語りはじめた。

「新聞記者時代、僕がやっていたのは主に事件記者だった。警察を回って刑事から情報をもらう役回りなんだけど、警察官とは一方的に新聞記者が聞き取りをして情報をもらう関係。『僕は君が好きだ』と相手の心に入り込むしかない。それが僕は苦痛でしょうがなくて……。

育ちのいい人はうまいんだよ。育ちのいい人は、人の心を疑わない。人は、小さい頃から、好意を受け取る経験をしていないと、育ってからも、好意を見せられてもそれをまっすぐに受け取れないと思う。自分はそっちのタイプだったんだ。必死の努力でカバーしていたものの、刑事が好意でくれる情報をまっすぐ受け取れない自分は、事件記者には向いていなかった。

それは、元をたどると、子ども時代の陰惨な貧困生活が原因なんじゃないかと思うんだけど……」

どこにも居場所がない、凍り付いた世界で

1961年、兵庫県西脇市生まれ。佐々木が生まれたとき、母は神戸で美容部員をしていた。その後、転居した大阪・西成の四畳半、トイレ共同、風呂ナシのアパート生活が子どもの頃の原風景だ。夕方になると母に連れられて梅田の駅に向かい、帰宅する父にバトンタッチして、家に帰る生活。しかし、佐々木が小学校1年生の時、実父が刑事事件を起こし、離婚。父親には不倫癖があり、母が田舎に戻って帰ってくると、家に知らない女性が隣で寝ていたこともあった。子どもの頃に優しくされた経験は、まったくなかった。

母は2年ほどして、働いていたスナックで知り合った大阪のプレス工員の男性と暮らすようになる。養父は佐々木に暴力をふるった。毎日、殴る蹴るの繰り返し。佐々木のTシャツの胸には、いつも鼻血が散っていた。

母は、殴られている自分を見ても、何もしてくれなかった。それが長い期間にわたって佐々木と母との関係のもつれにつながる。

まもなく、義父と母の間に妹が生まれた。義父は元々勤めていたプレス工場の社長の娘と結婚した婿養子だったが、佐々木の母と暮らしはじめたことで離婚し、工場を追い出される。一家は職を求めて、愛知県の豊田市へ移り住み、養父はトヨタのプレス工場で働き始めた。社宅の2DKのアパートで、母と養父と暮らす日々。

「家族とは別の場所で、一人だけで食事をさせられて。テレビも見せてもらえない。唯一父が好きだった戦争のドラマだけは見ても良いと言われてたな。『なんでそんなもの一緒に見ないといけないんだ』と思いながら、ぼんやり一緒に見て……」

物を買ってもらった記憶もない。不潔だからという理由で、洗濯物も別々にされる。家の中に、佐々木の居場所はなかった。

小学校高学年になると、佐々木は父の暴力から逃れるため、本の世界に没頭するようになる。図書館に籠もり、手当り次第に世界文学全集を読んだ。ルナールの「にんじん」に、自分のつらい境遇を重ねた。そのうち養父から読書すらも禁止される。自分から読書を取ったら、何が残るのか。釣りに行くふりをして家を出て、こっそりと図書館に行き、釣り道具を脇に置いて本を読むようになった。

親に殴られて育った子どもは、被虐的に育つ。「自分はダメな人間なんだ」という自己否定感、無力感。家庭で植え付けられた被虐心は、子どもたちの間にも漏れ伝わる。小学校の終わり頃までは、学校でもいじめられた。味方は、一人もいなかった。

「小学校から中学卒業まで、家にも、学校にも居場所がなくて。愛情も友愛もまったくない、凍り付いた世界で、『こんな人間は、いったいどうやって将来生きて行くんだろう』というアイデンティティ・クライシスを、高校の終わりくらいまで抱えて生きていた」

幼少期のつらい経験は、佐々木を「人の善意」を信じることのできないこどもにした。信頼を寄せても、裏切られるのではないか。殴られ、蹴られ、罵倒されるのではないか。

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