宮家邦彦氏と語った集団的自衛権の核心

マスコミはついこの間まで集団的自衛権をめぐって大騒ぎしていたが、安倍晋三政権が肝心の法改正を来年の通常国会に先送りしたら、とたんに熱も冷めてしまった。それはマスコミの常である。

マスコミの硬派報道というのは「天下国家、国のあり方を論じるもの」と思われがちだが、そうではない。基本的には「永田町や霞が関で起きていること」を報じ、論評しているのだ。言い換えれば、政治家や官僚が議論していることを「ああだ、こうだ」と言っているにすぎない。

つまり問題設定をしているのは、あくまで政治家や官僚である。ときどき政治家や官僚が語らず「外に出る」とは思ってもみなかった話が特ダネとして報じられることもあるが、それはまれだ。

最近では、福島第一原発の故・吉田昌郎所長が政府事故調査委員会に証言した「吉田調書」報道がそうだろう。朝日新聞が報じた後、産経新聞が先日、朝日報道に対する批判を交えつつ、後追いした。

そのせいか、最近では「政府は吉田調書を公開すべきだ」という声も高まってきた。マスコミの側が問題を設定した数少ない好例である。こういう報道がもっと盛んにならなければならない。

核心を外した議論ばかりだった集団的自衛権問題

いきなり脱線した。今回の本題は集団的自衛権だ。

私はこれまであちこちで何度も書いたり発言してきたとおり、日本は少なくとも1960年に日米安保条約を改定したときから事実上、集団的自衛権の行使を容認してきた、と考えている(5月2日公開コラム、http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39149、『週刊ポスト』の「長谷川幸洋の反主流派宣言」2014年5月23日号、http://snn.getnews.jp/archives/313705など)。

それは、日米安保条約が日本と並んで極東(具体的には韓国と台湾、フィリピン+ベトナム)の平和と安全の確保も視野に入れて、日本に米軍基地を設け、かつ有事の際に日本は事実上、米軍に基地使用を認めてきたからだ。基地使用を認めなければ、沖縄は返還されなかっただろう。

これは「日本の安全保障がどういう構造の下で成り立っているか」を考える際に基本中の基本問題である。にもかかわらず、安保条約と米軍基地、集団的自衛権の問題は今回の行使容認をめぐる論争でも、ほとんど議論されなかった。少なくとも、私は新聞の解説記事やテレビ番組で見たり聞いたりしたことはない。