カイジ「どん底からはいあがる」生き方の話 【第6回】生きづらさの原因は自分の考え方にある

2014年08月22日(金) 木暮 太一
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つまり、ここでしか働けないと思うことが、自分自身を追いこんでしまっているわけです。では、それを避けるためにはどうすればいいか?

「ブラック企業を見極める目が必要」と言われることもありますが、それでは問題は解決しないと思います。「見極める」と言っても限界がありますし、会社としてはホワイトでも、直属の上司がブラックである可能性も十分にあるからです(むしろ、そのケースの方が多いです)。

本質的な解決法は「他に選択肢を持つこと」です。就職した先がブラック企業だったら、「あ、じゃあ辞めますね。違う会社に就職します」と言えるマインドを持つことです。そして、この「他に選択肢がある」という気持ちが余裕を生み、会社組織への隷属を避けられるのです。

じつは、同じことが社会についても言えます。

多くの人が、周囲と違う考え方をしたいと思いながら、「仲間外れにされたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」「変だと思われたらどうしよう」と考えています。だからできないんです。その根本にあるのは、「自分が生きていく社会はここしかない」という考えです。自分の居場所はここにしかないと思うから、そこでリスクを取ることができないわけです。

1週間の合宿勉強会やイベントにたまたま参加した場合をイメージしてください。勉強会やイベントが開催されている間、その場は立派な社会になり、参加者はその中で活動していきます。でも、その中で、周りに気に入られようとして必死にがんばることはしませんよね。

少なくとも、「ここにいる人たちに嫌われたら自分は生きていかれない」とは思わないはずです。というのは、その"社会"の中でずっと生きて行くつもりがないからです。もし合わなくても"帰る場所"があり、"帰る場所"があるから、特に何も気にしないのです。

しかし、自分が帰属している社会がたった1つしかないと思っていたら、一生懸命しがみつくことになります。かつて「村八分」という言葉がありました。村八分とは、江戸時代以降、村落で行われた「仲間外れ」のルールです。村のおきてに従わないものに対して、村全体で"共同して"仲間外れにします。二分(葬式と消防)以外は断絶することから、「村八分」と呼ばれました。

かつて、この「村八分」は強い意味を持っていました。村人にとってその「村」が唯一の帰属社会だったからです。その社会の中で村八分にされるということは、世界と断絶することを意味していました。それくらい重大なことだったのです。

しかし今となっては、もし同じ制度が残っていたとしても、ほとんど効力はないはずです。現代の都会では、町内会で村八分にされたところで、痛くもかゆくもありません。もしも現実に村八分を言い渡されたとしたら、笑ってしまうかもしれません。都会に住んでいる人は、ほぼ例外なく町内会とは別の共同体、会社や趣味のサークルなど、ほかにいくつも居場所があるからです。

だから町内会で"村八分"ならぬ"町八分"にされたところで、まったく気にしません。多少、ご近所付き合いが気まずくなる程度です。"町八分"にされないように、周りと歩調を合わせることもありません。帰る場所があれば、過度に周囲の目を気にする必要はないのです。そして、自分を押し殺して他人に合わせる必要はないのです。

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