松井孝治×西田亮介対談【前編】
「官邸では、国の未来像を描き、戦略を立てる仕事が中空だった」

いま、改めて「公共」を問う
[左]松井孝治氏(慶應義塾大学総合政策学部教授)、[右]西田亮介氏(立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授)
これまで、政治家に注目したり、政治を見直すときに、首相経験者や派閥の担当者など、私たちから少し遠い人たちがコンテンツとなることが多かった。しかし、本当にそれでよいのか、という問題意識から、立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授・西田亮介氏が聞き手となりスタートするインタビュー企画。初回となる今回は、「公共」をテーマに、官僚、政治家を経て、現在は慶應義塾大学総合政策学部教授を務める松井孝治氏にインタビューをおこなった(3月17日実施)。

西田: 松井先生の経歴を見ると、通商産業省(現・経済産業省)の官僚から出発し政治家、そして現在は大学の教授と、「公共」について、多様な観点から変革に注力されてきました。霞ヶ関にいたときから、ガバサンスを動かそうと、一貫して公共の変革にご尽力されてきた稀有なご経歴をお持ちです。

日本では、90年代に至るまで、政治(改革)と市民社会の関係は良好だったとはいえません。その意味においても、松井先生の経歴は極めて稀有なものといわざるをえないと思います。この度、松井先生の問題意識と、いかにして、民主党時代の市民社会の基盤整備を試みた「新しい公共」に結実していくのかというお話を軸にいろいろと伺いたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

松井: どうぞよろしくお願いします。政権交代から1年半が経ち、「新しい公共」をもう一度見直すという意味では、今回のような形で触れていただくことは大変ありがたいです。

西田: 今回、お聞きしたいことが、大きく4点あります。1つ目は官僚時代に携わった橋本龍太郎内閣が推進した「橋本行革」から、鳩山由紀夫内閣時代の「新しい公共」へといたる中で、松井先生の一貫した理念やお考えについてお伺いしたいと思います。

次に、「新しい公共」はどのようにあるべきだったのか、また、現在でも有効なのかということが2点目です。3点目は、松井先生は民主党時代に「プラトン」、経産省時代には「RIETI(独立行政法人経済産業研究所)」と、政策シンクタンクの立ち上げにかかわってこられました。このような取り組みについて、いまはどのようにお考えなのかということをお伺いしたいと考えております。

4点目は、いま政治や政局について、どのようなことを考えればよいのか、という部分についてお考えを伺えたらと思います。

松井: 4つの質問ですね。どうぞよろしくお願いします。

「公共性の空間は中央の官の独占物ではない」

西田亮介氏

西田: まずは最初の質問です。中央省庁再編を行った橋本行革から「新しい公共」にいたるまでの期間に考えていらっしゃった問題意識をお話いただけたらと思います。

松井: そもそものところから言いますと、ぼくは商売人の"せがれ"なんです。けれども、大学で上京して以来、「公」というものに関心がありました。親がずっと言っていたのは、跡取りの兄には「商売のことをやりなさい」、ぼくには「商売ではなく世のため、国のための仕事をしなさい(=公の仕事をしろ)」ということでした。

その後、大学進学で上京してから、世の中のためになる仕事をしようという考えが強まりました。城山三郎さんが書いた『官僚たちの夏』の影響などもあり、卒業後は官僚という道に進むことにしたんです。あの本では、官僚である主人公の風越信吾が政治家も民間の産業界も信用せず、「国の将来を考えるのは官僚だ」という自負のもとで仕事をする。そのようなイメージをもちながら、絵に描いたようにぼくも官僚の道を進みました。

大きな経験だったのは、1994年~96年の期間、首相官邸に出向したことです。一番長くお仕えしたのが村山内閣。その後、橋本内閣や鳩山内閣にもお仕えしました。

村山内閣時代には阪神淡路大震災が発生しましたが、ちょうど官邸に勤めていたんですが、初動期に官邸が一週間くらい混乱をきたしました。現場では一般のボランティアの方々が救援活動をしているにもかかわらず、官邸の初動が遅い、といった批判も浴びました。

この大震災のときに、一般の人が命を救うために動いている様子を目にしました。世のため、人のために仕事をするために官僚になった自分は、まさに政府の中枢にいたにもかかわらず、思い通りに動けていなかったんです。

その時に、ぼくら官僚の仕事だけが世のため、人のためになっているというのはフィクションだということに気づきました。官僚は官僚なりに頑張ってはいるのだけれど、どうして中央の官が「公」をすべて仕切るのだという思い込みがあったのかを考えるようになりました。

1995年は情報通信革命元年でWindows95が発売された年でした。一般の人々が携帯電話やパソコン通信を手に、情報交換しながら横でつながりはじめたんです。インターネットが本格的に普及し始めた年ですね。みんなが他者を救う気持ちがこれだけあるのに、社会全体としてはそれが生かし切れていないことにショックを受けました。

もちろん、官僚組織は間もなく大きく動きだし、東日本大震災よりも集中的な被害だったこともあり、組織もよく回ったと思います。しかし、「官」が全部仕切るというのは、傲慢だったんじゃないか、民間の人たちのちからをもっと借りていかなければいけないのではないか、と感じたのです。

震災後、通常国会がはじまり、毎晩深夜3時、4時に帰るという生活でした。官邸で泥のように疲れながらも、総理のリーダシップについて考えさせられました。

村山さんは戦後50年の節目として「村山談話」を閣議決定し、発表されました。個人的には違和感を抱く内容でしたが、自民党の閣僚などへの根回しも含め、その策定過程を官邸内で見ていてリーダーの言葉の力は大きいと思いました。

私は当時、総理の国会演説も担当していたのですが、国会演説とは異なる形で、村山総理が自分自身の歴史観にこだわり、当時の連立与党幹部を巻き込んでこの談話の閣議決定に至った。村山談話のプロセスを見ていて、総理というリーダーが、自らの言葉にこだわり、政治的な影響力を行使すれば、このような談話が出来上がるのだと、内容の是非というよりも政治家の言葉の重さを実感するという意味で、勉強になりました。

95年の年の終わりに、96年の1月の総理の施政方針演説では、霞が関の各省庁の「官庁文学」の合成ではなく、村山総理自身がもっとご自分の言葉でお語りになられるべきではないでしょうか、と直言しましたが、総理は「そうじゃのう」と微笑んでおられただけでした。すでにその時点では、年明けには退任の決意をかためておられ、総理として仰りたいことは村山談話に尽きていたというのは、退任後仄聞した話です。

その後、翌1996年秋に橋本総理から、政権としての初めての総選挙を控え、選挙の争点となる目玉政策を打ち上げたいので知恵を出せとの「発注」がありました。そこで、役所の縦割りの弊害やや、公共の担い手をもっと「官」から「民」に重心を移せないかということも含め行政改革をテーマとして取り上げられないかと思ったのです。

個別には頑張っているけれど、どうしても担当する事業を大きく発展させることに目がいっている。個別の事業でなく、どんな日本国をつくっていくのか、国全体の戦略を考えている人は驚くほど少ないのです。

本来はそうしたことは、官邸において、政権中枢を支えるべき人々が行わなければいけないけれど、古くから官邸は、良きにつけ悪しきにつけ政策の大部分は霞が関の各省庁に投げる。霞が関の優秀な官僚たちは国家のことのような抽象的な問題ではなく、各自が抱える政策分野や個別の事業の問題できちんと仕事をすることが最優先です。要するに、公共のど真ん中、国の未来像を描き、そのための戦略を立てるという仕事が、中空という感じでした。

たとえば、国会で、議員から質問の通告があるとその内容に応じて担当省庁が答弁を作成します。しかし、「総理の描く日本国の将来像はどのようなものか」あるいは「国全体の仕組みをどう変えていくのか」というような大きい質問が来ると割り振りが出来ず、「作成せず」という扱いになるんです。つまり、担当者がいない。事業が細分化され、縦割りで分担があるのだけど、国のあり方を問われたら、役所の誰も答えられない。そのとき、「ちょっとこの国、変なんじゃないの」と思いました。

これまでの行政改革の成功事例は、国鉄・電電などの事業体改革が中心で、行政の中核である霞が関本体、ましてや官邸に改革のメスが入ることはありませんでした。

そこで、96年の秋の日本記者クラブでの橋本総理の演説の中で、しっかりした政策部局として官邸(内閣官房)を強化し、省庁の間仕切りを変えるべき時期に来ていると提案しました。この演説が大きな反響を呼び、総選挙の公約となり、選挙後に総理直属プロジェクトとして発足したのが「橋本行革」です。

官邸、総理の脇にはあえて政策センターを作らず、リエゾンが霞が関の各省庁とつなぐという形で、結果的に官邸は日本型の権力の「中空構造」となっているのではないか。国全体のビジョンを作成する、あるいは、政権として取り組む最優先課題の調整をする、総理を中心としたチームを、いかに、どこに作るかという課題が、橋本行革の原点だったんです。

橋本総理直属の行政改革会議を立ち上げるという話になって、私は自分で手を上げて、通産省から唯一の出向者として参画しました。「なぜ官邸が省庁の縦割りの上にしか乗っていないんだ」という疑問のもと、国のあり方や行政の新しい時代に適応したあり方を組み替えるべく、官邸機能強化や国家機能別省庁再編ということを最終報告でまとめました。官邸機能強化や省庁の再編ばかりが取り上げられますが最終報告の冒頭の「公共性の空間は中央の官の独占物ではない」という文がもっとも大切な表現のひとつだと考えています。 

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