[虎四ミーティング~限界への挑戦記~]
釜本邦茂(サッカー解説者)<後編>「逆境をはねのけた不屈のストライカー」

二宮: 国際Aマッチ通算75得点と、日本代表で数々のゴールを積み上げた釜本さんが、初めて代表入りしたのは1964年、東京五輪の年でした。
釜本: 当時はW杯より五輪という時代でした。20歳で東京五輪に出場しましたが、右も左もわからなかった。入場行進したのは覚えていますが、あとはあまり記憶に残っていません。僕はもともと“五輪に出たい”という思いでサッカーをやり始めたんです。それが叶ったものの、“世界とはこんなものなのか。自分は、まだ三流選手だな”と思わされましたね。

二宮: それでも日本代表はベスト8に入りました。グループリーグで優勝候補のアルゼンチンに勝利したのは、まさに快挙でした。当時の日本代表の強化には、デットマール・クラマーさんが深く関わっていました。“日本サッカーの父”と呼ばれたクラマーさんは、釜本さんにとっても、特別な指導者だったんじゃないでしょうか?
釜本: そうですね。サッカーがうまくなるため、そして強くなるために何をしなければいけないのかを根本的に教えてくれた人です。初めて教わったのが、16歳の時でした。それからもユース代表や、東京五輪に向けた代表の合宿にも来られて、日本のチームを見てくれました。

二宮: 練習も相当厳しかったと聞いています。
釜本: 怖かったですね。今の選手だったら、ついていけないかもしれませんね。ボールの止め方ひとつで怒られましたから。トラップでボールが少しでもはね上がると、笛が鳴って、「なんて止め方しているんだ!」ときつく叱られましたよ。だから選手たちはクラマーが見ている時は、怒られないように一生懸命やるんです。ところがクラマーがパッと目を離して、向こうに行きかけたら気が緩んで失敗してしまう。でも、それも彼は見逃さないんです。

二宮: まるで背中にも目がついているようですね。
釜本: それほど僕らに目をかけてくれていたのかもしれません。クラマーと出会ったばかりの頃の僕は、身体は大きかったけれど、技術的にはものすごく下手くそでした。ボールは止められないし、上手く蹴ることもできない。でも下手くそだからこそ、練習をたくさんしました。そうやって人一倍努力したおかげで、今の自分があるのだと思います。