「会社を手伝わないか」という誘いがきっかけで入社した音楽事務所。世界の超一流ミュージッシャンとの出会いと思い出は、人生の大きな賜物になった

熟年層や就活生を中心に昨今ひそかなブームとなりつつある「自分史」。自分の人生を知る最良の方法でもあるこの自分史の書き方のノウハウを、「知の巨人」立花隆氏が一冊の本にまとめたのが、その名もズバリの『自分史の書き方』(講談社刊)である。

2008年に「立教大学セカンドステージ大学」で行った立花氏の講義を受けた受講生が作成した『自分史』をご紹介する。

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「立花隆の自分史倶楽部」では、立花隆氏の著書『自分史の書き方』を参考にして「自分史」を書いた方の投稿を募集しています。
「自分史」の投稿募集要項はこちら

現代史の中の自分史---辻野長(その2)

1968年
ベトナム・ソンミ虐殺(3月)キング牧師メンフィスで暗殺(4月)米ロバート・ケネディー暗殺(6月)ソ連チェコ制圧・プラハの春(ドプチェク失脚)メキシコ五輪
1969年
アポロ11号人類月に立つ(7月)ロックの祭典ウッドストック高原で開催、40万人ライブベトナム、ホーチミン死去(9月)サミュエル・ベケット、ノーベル賞

立教大学入学

立教大学の合格後、半ば覚悟していた浪人生活を免れ、晴れて大学生となった。

住まいは、東京の親戚に見つけてもらっていた早稲田・諏訪町(現在、早稲田通りと明治通りの交差点の早稲田寄り)の奥まった路地のいわゆる「おばさん隣の部屋とは襖で仕切り+賄い付き(朝昼飯付き)+門限有」の下宿屋さんであった。

主人の名は内田やす80歳のお婆さん。子供のころ、大隈重信が時々このあたりまで散歩に来たのを見た記憶があると云っていた。

早稲田大学の近くであることもあるので、早稲田大学の学生が下宿していた。襖一つ隔てての隣人は岐阜・大垣から一浪して早大の政経学部に入った「伊藤史郎君」。もちろん、咳ばらいもイビキも・・・たぶん「屁」の音も(大きさと種類によるが)十二分に聞こえ合う?距離である。

高田馬場の早稲田諏訪町・下宿左の暗く写っているのが隣人・伊藤史郎さんとの境目のふすま

素朴な人柄で、念願の早稲田に入った印に、あの特徴のある「座布団帽」を買ってあったが通学には一切帽子をかぶること無く、下宿に飾ってあった。シンボルだったようだ。

その彼とは、そんな思いでだけで、すぐに私が、半年余りで、その下宿を出て、東武東上線の「下赤塚」に引っ越したのでそれ以来、音信不通になってしまった。

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